創設当初のぷかぷか日記
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創設当初のぷかぷか日記
2008年8月18日 (月)
カフェベーカリーぷかぷか設立計画案
8月18日 カフェベーカリーぷかぷか設立計画案を少し書き直す。
「NPO法人ぷかぷか」設立計画案 (08/8/18改訂版)
1. 設立の目的
①ハンディのある人たちの働く場を街の中に作る。
知的ハンディのある人たちの働く場を自分たちの住む街の中に作りたい。彼らは学校を卒業したあと、街の中で働く場がなかなか見つからない。一般の企業に就労できるのは、ほんの一握りで、多くの卒業生は地域作業所や施設で働くことになり、そこは「街の中で働く」といったイメージとは少し異なる。彼らも私たちと同じように街の中で働き、いろんな人たちとお付き合いしたいと思っている。いろんな人たちとお付き合いしたほうが楽しいからだ。知り合いの八百屋は、近隣の施設の人たちが街の中で働く場としてお店を提供している。一日に一人しか面倒見られないので、お店で働くのは1ヶ月に2回くらいしか順番が回ってこないのだが、それでもその日をみんなとても楽しみにしている。ハンディがあってもみんな街の中で働きたいのだ。
彼らのそんな思いを受け止めての「街の中で働く場」作りなのだ。具体的には自家製の天然酵母パンを売る喫茶店。お客さんがたくさんやってくる街の真ん中に作る予定。お客さんにパンを売ったり、いっしょにおしゃべりしたり、コーヒーを運んだり、一日中、街の人たちとのおつきあいだ。そのおつきあいこそ大事にしたいと思っている。
そのおつきあいの中で、街の人たちにはハンディのある人たちといい出会いをして欲しいなと思う。彼らの中には字が読めなかったり、言葉がうまくしゃべれなかったりする人もいる。でも、そんなことをはるかに超えて、彼らは人としての魅力を持っている。その魅力にたくさんの人たちに出会って欲しいと思う。彼らの魅力に出会うことは、そのまま私たち自身の人としての幅を広げることであり、人として豊かになってゆくことだと思う。
②街の中にほっと一息つける場所を作る。
街の中にほっと一息つける場所を作りたいと思う。そんな場所が街の中にあるだけで、私たちはちょっとだけ元気になれる。
知的ハンディのある人たちは、ただそこにいるだけで、こころ安らぐ雰囲気を作ってくれる。彼らの働く喫茶店は、ただおいしいコーヒーを飲ませてくれるだけでなく、こころの安らぎも提供してくれるはずだ。そんなお店を街の中に作りたい。
彼らの仕事のペースはゆっくりだ。そのゆっくりしたペースをお店の基本にしたい。お年寄りのや、小さな子どもを抱えたお母さんたちにもやさしいペースになるだろう。そんなふうにみんながゆったりくつろげるお店を街の中に作りたいと思う。
③みんなが暮らしやすい街を作る。
パンは注文があれば配達しようと思う。ハンディのある人たちが、あちこちの家や会社においしいパンを届ける。届ける途中で道に迷ってしまったりすることもあるだろう。そんな時は通りがかりの誰かに助けてもらおう。おいしいパンを届けて代金をもらう時、おつりの計算ができないこともあるだろう。そんな時は届けた家や会社の人に計算を伝ってもらおう。そんなふうにして街の人たちが、毎日の暮らしの中でごく当たり前のようにハンディのある人たちとおつきあいするようになる。そのおつきあいの中で、街の人たちがハンディのある人たちを自然に受け入れてくれるようになるといいなと思う。
ハンディのある人たちがごく自然に街の中にいる時、街の人たちにとってもそこは居心地のいい街になっていると思う。
④街の活性化につながるお店にしたい
彼らとおつきあいしていると毎日が本当に楽しい。そんな楽しさであふれるようなお店を街に中に作れば、街がもっともっと元気になるような気がする。郊外に大型店舗ができることで、街に古くからあるお店がやっていけなくなっていると聞く。そんな中に今までにない楽しくて、元気のあるお店ができることは、うまくすれば街に活気を取り戻すことのきっかけになるかもしれない。
2. 事業計画
①パンの製造販売
・天然酵母、国産小麦を使った美味しくて安心して食べられるパンの製造販売をする。
・全粒粉と中力粉を使ったハード系のパン、強力粉を使ったソフト系のパンの両方を作る。
・店頭販売だけでなく、注文をとって配達もする。学校、役所、会社などで出張販売をす
る。
②喫茶店の運営
・おいしいコーヒーと紅茶、ハーブティの飲める喫茶店の運営をパンの販売とあわせて行う。
・飲み物とセットでケーキ、軽食も販売する。おいしいパンでおいしいサンドイッチも。
・家具デザイナーの力を借りて座り心地のいい椅子と落ち着いたテーブルを用意し、おい
しいコーヒーがさらにおいしくなるような演出をしたい。
・知的ハンディのある人たちの魅力をそのまま生かした、こころ安らぐ雰囲気のお店にし
たい。
③パン、弁当の配達 注文があればパンを家や会社まで配達する。ワーカーズコレクティブの弁当屋《げん木》とタイアップし、お年寄りの家に弁当を配達する。配達したついでに、お年寄りの方とお話してこよう。ハンディのある人たちとお話すれば楽しいし、なによりも元気がでる。 おいしい弁当の配達といっしょに楽しさと元気の配達、それに安否の確認ができればまさに一石三鳥。
3,事業を展開する場所
横浜市緑区の中山駅周辺の商店街。
4,事業の人的規模
専任スタッフ5名、ハンディのある仲間たち10人くらいで、パン製造、販売、喫茶部
門運営を行う。いずれも有給。
理事10名(運営について話し合う)。無給。
会員(法人の目的に賛同した人) たくさん
5、事業開始時期とそれまでにやること
●2010年4月オープン予定。
●2008年夏にNPO法人ぷかぷかのホームページ開設。情報をオープンにし、応援してく
れる人をできるだけたくさん集める。
●月1回、賛同者でパン教室と打ち合わせを行なう。
●横浜市の商店街空き店舗活用事業に応募してみる。
「審査のポイントは ・事業の独自性や新規性があるか
・商店街の活性化に寄与することが
期待できるか
・地域住民の生活の向上に役立つことが期待できるか
・事業を具体化し継続でき
るか
などを総合的に判断し審査いたします」と横浜市のホームページにあるので、審査に通る
可能性は十分あると思われる。
●賛同者を集めるための映画会、講演会などを企画。
●寄付金も集める。寄付金を集めるためのおもしろいアイデアを検討。
●債券発行の検討。
●「ぷかぷか」のロゴの入った寄付金つきコーヒーカップ、カレー皿の販売。
一個1000円くらい。
●2009年4月NPO法人申請
●計画に賛同し、資金、あるいは資源を提供してくれる(社会的貢献をしたいと思っている)
企業を探す。
●ハンディのある人たちの社会参加に助成金を出すところを探す。
●2009年夏までにお店の場所の選定を行い、事業場所を決める。
●場所が決定次第、内装のデザイン、厨房設備の検討開始。
●知的ハンディのメンバーさん、専従スタッフの決定。
●パンを焼ける場所でスタッフ、メンバーさんでリハーサル。
メール takasakiaki@a09.itscom.net
ホームページアドレス http://pukapuka-pan.xsrv.jp
連絡先 高崎明 横浜市緑区森の台18番C-101 TEL 045-934-4648
2008年8月20日 (水)
パン教室
8月16日は「ぷかぷかパン教室」と称して「カフェベーカリーぷかぷか」に関心を寄せる人たちでパン教室。オレンジブレッド、動物パン、グリッシーニ、アンチョビとズッキーニのピザ。地区センターのガスオーブン(ビルトインのオーブンがなんと4台もある)で実に気持ちよくパンを焼いた。参加者12名のうち、ハンディのある仲間たちは4人。焼き立てのおいしいパンを食べながら打ち合わせ。お母さんたちのノリがすごくいい。
次回のぷかぷかパン教室は9月13日(土)9時スタート。場所はハーモニーみどりの4階中山地区センターの調理室。1時ごろから同じ調理室で焼き立てパンを食べながら打ち合わせ。興味のある方、どうぞお越し下さい。
8月19日は学校のPTA主催のパン教室。大人10名、子ども10名以上の参加。16日のメニューに肉まんとレアチーズケーキが加わる。9時スタートで12時にすべて完成。これだけのメニューを電気のオーブン3台、ガスコンロの上に置く昔の箱形オーブン2台でこなすのはなかなか大変だったが、こういう段取りをこなすのはパン屋を始める上でのトレーニングになる。
パン教室の後は希望者が残って陶芸教室。コーヒーカップを作ったが、かなり疲れた。
2008年8月21日 (木)
今日もパン教室
8月21日 今日もPTA主催の3回目のパン教室。メニューはオレンジブレッド、グリッシーニ、動物パン、肉まん、アンチョビとズッキーニのピザ、レアチーズケーキ、カボチャと大豆のポタージュスープ。9時にスタートしたが、計量に30分近くかかり、ちょっと焦る。グループごとにかなり時間差ができ、段取りがごちゃごちゃになる。発酵の合間にレアチーズケーキ、カボチャのポタージュ、肉まんの具、ピザのトッピングをつくるが、目の回りそうないそがしさ。これと重なりながら動物パンの成形を子どもたちが始め、さらに肉まんの包み。レアチーズケーキの生クリームを子どもが撹拌しすぎて固くなってしまうが、気にせずにやわらかくしたクリームチーズと混ぜてもらう。クラッカーを子どもたちに砕いてもらい、ケーキの丸形の底に敷く。生クリームとクリームチーズを混ぜたものをその上に流し込み、冷凍庫へ。カボチャを煮てやわらかくし、そこへ炒めたタマネギを入れ、あら熱を取る。大豆を牛乳と一緒にミキサーにかけ、あら熱をとったカボチャもミキサーにかける。氷水に入れて冷やす。その合間に動物パンを焼くためのオーブンを予熱。肉まんを蒸し器に並べ、火にかける。オレンジブレッドを分割成形し、2次発酵。グリッシーニを分割し、ベンチタイム。ピザを焼くための昔の箱形オーブンをコンロにかけ、予熱。200度を超えたところでピザのトッピング。オーブンに入れて焼く。肉まんが蒸し上がる。動物パンが焼き上がる。続けてオレンジブレッドを焼く。ピザが焼き上がり、グリッシーニを箱形オーブンに。焼き上がったパンや肉まんやピザをお皿にのせ、テーブルに並べる。冷たい飲み物を用意。コーヒーメーカーでコーヒーを入れる。レアチーズケーキを冷凍庫から出して切る。カボチャのポタージュをお椀に入れる。すべてテーブルに並べ、いただきますをしたのは12時半でした。今日もよく働きました。肉まんがしみじみおいしいといってくれた人が何人かいて、とてもうれしかった。この肉まんはカフェベーカリーのお昼のメニューに入れる予定。
2008年8月26日 (火)
助成金
横浜市の障害者支援センターに助成金のことで相談に行った。「カフェベーカリーぷかぷか」の運営をすべて助成金にたよってやるつもりはないが、ある程度ないと、やはり厳しいなという気がする。ハンディのあるメンバーさん10名、スタッフ5名でやっていくとすると、人件費、家賃、水光熱費などで月に150万円くらいかかる。そのためには1日8万円くらい稼ぐ必要があり、パンでそれだけ稼ぐのはかなり大変だとパン屋をやっている人から聞いた。
メンバーさんもスタッフも追われるように毎日働くのはちょっとつらいなと思う。がんばって働くのはいいが、そんな中にも、泉区の『ぴぐれっと』のようにみんなが『いい一日だったね』って言えるような毎日にしたいと考えている。だから一日の売上目標に追われるように働くのは、まず避けたいと思う。となるとやはりいくらかの助成金をもらいながら運営していくのがいいのかなと思う。
先日、いつもパンに使う全粒粉を石臼でひいてもらっている八王子の『ゆいまーる生活館』(おいしいハード系のパンを焼いている)に一日研修に行ったのだが、10人くらいいるメンバーさんはそれぞれが自分のペースで働いていて、とてもいい雰囲気だった。10分くらいで終わる計量を1時間くらいかけてていねいにやっている人がいたり、床にしゃがみ込んだままの人がいたり、それでいてその人たちにとやかく言うわけでもなく、そんな雰囲気の中でパンがどんどん焼き上がっていく。こののんびりした雰囲気、それぞれのペースを大事にする雰囲気はどこから来るのか聞いてみたら、東京都と八王子市から運営費をもらっていて、それがあるからこういう雰囲気でやっていけるのだという。こういうやり方もいいなと思った。
問題は初期投資をどうするかで、カフェベーカリーぷかぷかの場合、パンの厨房設備に500万円、喫茶店の改装費に500万円、合計1000万円見ているのだが、知り合いの作業所の場合、初期の設備費が500万円かかり、250万円の助成金がでたそうだが、それを超える分は10年かかって寄付を集めてうめたという。ぷかぷかはしっかりパンでお金を稼ぐ予定なので、初期投資の赤字分は自分たちで稼いでうめたいと思う。
運営費の助成金をもらう場合、そういう形が可能かどうかが一番気になっていたのだが、赤字分を寄付でうめなければならないという規則はなく、好きにやっていいということだった。カフェベーカリーぷかぷかの場合、「地域活動支援センター障害者地域作業所型』にあたり、運営助成金が10人あたり12,804,000円、初期設備費に300万円出るそうだ。この運営費でスタッフ2名分の人件費、家賃、水光熱費が払えるなら、万万歳というところだ。ぷかぷかではスタッフ5名の予定なので、3名分はパンの売り上げで賄えばいいし、メンバーさんの給料も1万円以上払えるだろう(最賃は無理だが)。初期投資の赤字分700万円も、パンでこつこつ稼げば何とかなる気がする。
というわけで、今日はなんだか気分が晴れ晴れとしているのです。
2008年8月27日 (水)
オーブンメーカーのパン教室
8月26日、仕事を休んでキューハンというオーブンメーカーの主催するパン教室に行った。新宿にある東京ガスのショールームにある調理室であったのだが、すごい設備にまずびっくり。
あこ酵母という天然酵母を使うのだが、焼きあがったパンは本当にうまかった。パン屋は毎日食べる食パンが勝負だという。その食パンがしみじみおいしかった。いつも使う白神こだま酵母の食パンもおいしいが、ひょっとしたらそれを超えるかなと思った。
あこ酵母は1次発酵に一晩かかる。だから時間をかけてパンのうまみを引き出すのだという。味噌も醤油も時間をかけて発酵させるからうまみが出る。白神こだま酵母はイースト並みの時間でできるので便利ではある。ただそれは使う側の便利さであって、お客さんにとってはそれよりもうまみがあるかどうかが大事だという。全くその通りだと思った。時間をかけてうまみを引き出すこと、今日、一番印象に残った言葉だ
カフェベーカリーぷかぷかでは自家製の干しブドウ酵母と白神こだま酵母を使う予定だが、白神こだま酵母は値段が高いのが難点だなと思っていた。その問題に今日は「うまみの」問題が加わり、これからの検討課題。あこ酵母を作っている「あこ庵」というパン屋で研修させてくれるそうなので、時間を作っていってみようと思った。
その「あこ庵」、多摩ニュータウンにあるのだが、固定客がたくさんいて、東京からベンツEクラスに乗って買いに来るお客さんもいるという。カフェベーカリーぷかぷかはベンツに乗ったお客さんもいいが、それよりも近所のお年寄りの方たちがいつも買いに来るようなそんなお店にしたいと思う。
パンは作った生地のうまみを引き出すオーブンも当たり前の話だが大事。今日はキューハンというメーカーのガスオーブンを使ったのだが、輻射熱で焼く評判のオーブン。先日夜中にメールをくれたメーカーの営業マンがいたのでオーブン、ドーコン、冷蔵庫、ミキサーでどのくらいかかるか聞いたところ、概算で700万円くらいだろうという。これに調理台などが加わると1000万円くらい。喫茶店の改装費を入れると初期設備に1500万円くらいかかることになる。頭の痛い話だが、助成金を出してくれる所を必死になって探そう。こういう情報に詳しい方、教えてください。
2008年8月28日 (木)
助成金の話
朝、あこ酵母の生種を仕込む。これはホシノ酵母と同じくオーバーナイトで発酵させるので、仕事やりながらの生活の中では、朝、1次発酵の終った生地の成型ができないので、結局発酵時間の短い白神こだま酵母を使っていたのだが、先日のあこ酵母を作っている人の話を聞き、ちょっと使ってみようという気になった。普段の日は難しいが、土曜日か日曜日なら、朝、成型できるので、今度の土曜日あたりにやってみよう。
助成金を出すところをいろいろ調べているが、競輪と競馬をやっているところがかなりの助成金を出すようだ。いずれもお店の改造費に500万円とか出すので、すごい気前のいいところだなと思った。知り合いのパン屋も300万円くらいするオーブンをここの助成金で買っている。助成金をもらうためにはそれまでにNPOを立ち上げる必要があり、ぷかぷかパン教室をやりながらみんなと話を詰めていかねばと思う。障害者支援センターの運営費の助成も法人が対象なので、申請の時期から考えると来年4月にはきちんと形を整える必要がある。
運営費の助成については障害者自立支援法によってかなり雰囲気が変わったようだ。以前は売り上げはすべてメンバーさんの工賃にしなければいけなかったり、初期設備の赤字分も売り上げで埋めることができず、寄付を集めるしかなかったりで、こういうお金ならいらないな、と思っていた。ところが先日説明を聞きに行ったら、条件はハンディのある人たちが10人以上いること、仕事をする場所があること、の2点だけ。初期設備の赤字は売り上げで埋めていってもいいし、運営費の助成金だけではパン屋をやるスタッフ(5名くらい必要だが、助成金は二人分。しかも毎年金額は変わらないので昇給はなし)は雇えないので、パンの売り上げで雇えばいい。売り上げはすべてメンバーさんの工賃として渡す必要もなく、どう使うかはみんなで決めればいい。考えてみればごく当たり前のことだが、それができないところが福祉の世界であったのかもしれない。
2008年8月31日 (日)
また助成金のこと
助成金で雇える人は2人。でも2人ではカフェベーカリーぷかぷかはやっていけない。パン工房に3人、お店に2人、計5人は必要だ。残り3人はパンの売り上げで雇う予定だが、助成金を出す障害者支援センターの担当者は、検討して返事をするからちょっと待ってくれという。先日相談に行った時はそれでOKだと思ったのだが、若い担当者はそう受け止めてないようだった。
夕方、地域作業所を2ヶ所運営している知人のところへいって、支援センターとのやり取りを話したら、法的には問題ないはずだから、売り上げで雇えばいいんじゃないかという返事。
横浜には150ヶ所くらい作業所があるが、しっかりお金を稼いでいるところはほとんどないらしい。売り上げは全部ハンディのある人たちの工賃になるのだが、月に5000円も行けばいいほうだ。
収入が少ないから助成金だけで運営することになる。人件費、家賃、水光熱費など運営していくのに必要な経費の中で一番多いのは人件費で全体の7割くらいになるという。運営費はハンディのある人たちの人数に対して出るので、常勤のスタッフが経験を積んでも運営費は変わらないから給料は増えない。ハンディのある人を増やして助成金を増やしたりしても、増やした人の面倒を見る人が必要になり、そのためにパートの人を雇ったりすると、結局給料は増えないことになる。ほかの経費を節約したりするにしても限界がある。若いうちなら何とかやっていけても、ある程度年齢が行き、結婚して子どもができたりすると作業所の給料ではやっていけない。だから多くの人がやめていくし、求人募集出してもなかなか人が来ないという。
こういうことについて助成金を出す支援センターはどう考えているのだろうか。ハンディのある人たちの働く場を支えている人の生活を何らかの形で保証していかないと、今の時代、作業所は成り立っていかないのではないか。 ぷかぷかはパンでしっかり稼ぐ予定だが、助成金のこういう問題点をその売り上げで補っていきたいと考えている。
どなたかこういうことに詳しい人、連絡いただけるとうれしいです。
2008年9月 7日 (日)
陶芸教室
午後、月1回の陶芸教室。午前中、防災訓練で朝8時から動き回っていたので、やや疲れ気味だったが、メンバーさんの顔を見たり、粘土をさわったりすると、さっきまでの疲れがうそのように元気になった。みんなでコーヒーカップを作った。慣れた手つきで二つずつ作った。
ヤマダくんは顔のついた花瓶を作った。何とも言えない楽しい顔だが、花屋に置いてもなかなか売れない。こういう雰囲気が好きな人が集まる作業所の運営する喫茶店ではすぐに売れたのだが、街の中の花屋ではまだまだという感じだ。それでも懲りもせず、毎週のように花屋に陶器を入れ替えに行っている。いつかきっと、と思い続けているからだ。買ってくれなくても、見てる人は結構いるみたいで、昨年の中山祭りで道端にお店を出していたら、いつも花屋さんで楽しみにしてますよ、といって声をかけてくれる人が何人もいた。こうやって彼らの作る作品の魅力が街の中に広がっていくといいなと思っている。
その広がりの中でカフェベーカリーぷかぷかの開店がある。
横浜市で商店街の空き店舗を利用した商店街活性化のアイデアを持つお店を募集していて、それに応募しようと思っているのだが、横浜市の担当者から連絡があり、今週会って話をしてこようと思っている。ちょうど中山商店街の担当者なので、ひょっとしたらかなり具体的な話が出るかもしれない。
ホームページをつくるソフトを新しく買って、ホームページをリニューアルした。途中でレイアウトを変えたら、リンクがうまくつながってなくて変なことになり、ページのレイアウトを変えてみたのだが、今度はアップロードがうまくいかなくて、なかなか思うように行きません。
それにしてもソフトのヘルプに書いてあることがよくわからない上に、困り果ててサポートセンターに質問を送ったのだが、サポートセンターから帰ってきたメールも何が書いてあるのかさっぱりわからなくて、全くこの業界というのは本当に困ったものだと思う。
2008年9月10日 (水)
芝居の稽古が始まる
10月12日にやる芝居の稽古が始まった。1年で一番楽しい時だ。朝からわくわくしてしまう。「ガジュマルの木とキジムナー」の台本をみんなに配り、「ガジュマルの木の歌」と「おいらキジムナー」それに「やさしいこころ」の3曲を歌って雰囲気を盛り上げる。みんなのノリがいい。グループに分かれて稽古。おしゃべりできない人が三分の一くらいいるので、その人たちの出番を工夫する。30分くらい経って、みんな集まって通しをやる。兵隊の歩き方がなんともおかしい。どちらかといえば重い話なので、このおかしさには救われる。せりふも彼らがしゃべると、ずっこけそうになったところが何ヶ所もあって、最高に楽しい。こういうセンスはまねできないなぁとつくづく思う。彼らと一緒に芝居をやるしあわせをしみじみ感じる。
2008年9月14日 (日)
第2回ぷかぷかパン教室
20名を超える参加者で、調理室はかなりごった返した。今日もいつものようにてんこ盛りメニューで食パン,カンパーニュ、グリッシーニ、プチパン、肉まん、アンチョビとズッキーニのピザ、ドライカレーを2時間半ぐらいで作った。夏休みのPTAのパン教室ではもう一品多かったので、今日は少し楽だったかな。お店が始まれば、もっと多くの種類を焼くので、それをこなすためのいいトレーニングになると思う。
あこ酵母(ホシノ酵母を改良したもの)を使って一晩かけて発酵させた食パンは旨味がよくでていて、試食した参加者みんなが「すごくおいしい!」「皮のところが本当においしい」と言っていた。白神こだま酵母もおいしいが、こんな旨味は残念ながら出てこない。発酵にはやはり時間をかけた方がいいとつくづく思った。この食パンをお店のメインにしたいと思っている。
カンパーニュは発酵時間が短かったが、それでもおいしさに変わりはなく、好評だった。塩しか入っていないこの素朴な味で勝負しようと思っている。やたら甘いパンが多い世の中にあって、この素朴な味はパンの味の再発見になる気がする。食パンと並べてお店のメインにしたいと思っている。
肉まんはどこのパン教室でも一番人気だが、蒸したてを出す技術的な問題がクリアーできないとお店の販売は難しいなと思う。どなたか肉まんをいつも蒸した手錠体にする技術を知ってる方、教えて下さい。
プチパンはドライカレーとよく合うので飲み物とセットでランチメニューにしようと思っている。サラダもつけて600円くらいかなぁと言ったら、600円じゃ安い!といわれてしまった。700円か800円で売れる、とみんな言ってました。
ピザもさっぱりした味で、これでもか、といった感じのてんこ盛りピザが多い世の中にあって、ぷかぷかのピザは結構売れるのではないかと思う。
横浜市のコミュニティビジネス振興課の方が参加され、パンの味とか雰囲気(ハンディのある人たちと一緒にやっている雰囲気)をとても気に入って下さった。中山商店街の会長さんにぷかぷかの事を紹介しておきますといって下さり、商店街にお店を持つ手がかりがつかめそうだ。
試食に見えた市会議員の方が「緑区にはおいしいパン屋がない、青葉区には何軒かあるのだが」というほどパン好きの方のようで、今日のパンを食べて「これは本格的な味だなぁ、すぐに商売に使えますよ」とうれしい評価。空き店舗を探すために心当たりのある不動産屋に当たってみるといわれ、かなり話が進みそうだ。
だんだん話が具体的になり、おもしろくなってきた。
2008年9月15日 (月)
詩を読んだ
先週、生徒たちと詩を読んだ。
平和教育というほどではないが、学習発表会で舞台に上げる芝居の中に、沖縄戦のさなか、大砲が村を向き、夜が明けたら弾が発射されるという場面がある。弾が発射されたらどうなるか、と聞くと、たいていの生徒は村人たちが死んでしまう、という。それは全く正しいのだが、この「死んでしまう」という情景を、どれくらい私たちは想像しているだろうか、というところがずっと気になっていた。
たとえば台本の中で、夜が明けたら弾が村に向かって飛んで行く事を知ったガジュマルの木の精たちが「まずいぞ」とか「ああ、困った」というのだが、生徒たちの口にする言葉はただ台本を追いかけてるだけで、思いが全く伝わってこない。村人たちが死ぬ事はわかっていても、そのことを具体的にイメージできないのだから、そこをいくら思いを込めて、とかいっても無理なのだ。
そこで詩を読むことにした。内容的にはとても辛い詩だ。目をそむけたくなるような詩だ。それでもきっちりとこの詩を読んで欲しいと思った。読むことで人が死ぬってどういうことなのか、具体的にイメージして欲しかった。
『仮繃帯所にて』
あなたたち
泣いても涙のでどころのない
わめいても言葉になる唇のない
もがこうにもつかむ手指の皮膚のない
あなたたち
血とあぶら汗と淋巴液
とにまみれた四股
をばたつかせ
糸のように塞いだ眼をしろく光らせ
あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐
だけをとどめ
恥しいところさえはじることをできなく
させられたあなたたちが
ああみんなさきほどまでは愛らしい
女学生だったことを
たれがほんとうと思えよう
焼け爛れたヒロシマの
うす暗くゆらめく焔のなかから
あなたでなくなったあなたたちが
つぎつぎととび出し
這い出し
この草地にたどりついて
ちりちりのラカン頭を
苦悶の埃に埋める
何故こんな目に遭わねばならぬのか
なぜこんなめにあわねばならぬのか
何の為に
なんのために
そして
あなたたちは
すでに自分がどんなすがたで
にんげんから遠いものにされはてて
しまっているかを知らない
ただ思っている
あなたたちはおもっている
今朝がたまでの父を母を弟を妹を
(いま逢ったってたれがあなたとしりえよう)
そして眠り起きごはんをたべた家のことを
(一瞬に垣根の花はちぎれいまは灰の跡さえわからない)
おもっている
おもっている
つぎつぎと動かなくなる同類のあいだに
はさまって
おもっている
かって娘だった
にんげんのむすめだった日を
(峠三吉)
教員がまず朗読した。みんなびっくりするくらい集中して聞いていた。授業中に彼らがこんなに集中したのはおそらく初めてだったといっていいくらい深い集中だった。そのあまりに深い集中にちょっと圧倒されて、次の言葉がなかなか出てこなかった。こっちも必死になって、次はみんなに朗読してもらうことを伝えた。
言葉にていねいにふれて欲しかった。そのためには人の読むのを聞くだけではだめだと思う。自分で詩を声に出して読む、人前に立って読む、そうやってようやく言葉に少しふれることができるように思う。黙って目で追いかけるよりはるかに言葉にふれるということを実感できる。
まず半分の生徒が前に出て、一人1行ずつ読んだ。模造紙に書かれた詩に目を向けながらも、気持ちは朗読を聞いてる人に向けるように言った。その人に向けて言葉を読む、言葉に含まれた気持ちを伝える。
1回目はかなりぎくしゃくした読みだったが、2回目は言葉が書かれた情景が彼らの中に少しずつだがイメージできた読みだった。聞いてる生徒も2回目の方が断然よかったといっていた。読む方もイメージできた分、読みやすかったといっていた。
グループを交代して、やはり2回繰り返して読んだ。次に二人で今度は長いセンテンスで読んだ。たまたまだが女性二人で読んだこともあって、詩の中の
ああみんなさきほどまでは愛らしい
女学生だったことを
たれがほんとうと思えよう
……
あなたでなくなったあなたたちが
つぎつぎととび出し這い出し
……
そしてあなたたちは
すでに自分がどんなすがたで
にんげんから遠いものにされはてて
しまっているかを知らない
……
「あなた」という言葉がしみて、聞きながら涙が出そうになった。死んでいったのは多分同じ年ごろの女学生だった。そのこともあって彼らが読む時の「あなた」という言葉には力があった。自分と重なりあう「あなた」への思い。
読み終わったあと、「毎日ごはんが食べられて自分は幸せだと思います」と言っていたのが印象的だった。(ふだんはちょっと頼りない人だが、こんな言葉がぽろっと出てくるなんてすごいじゃないか、と見直してしまった。)
最後に一人で全部読んだ生徒がいた。この詩を人の前で全部読むのは相当なエネルギーがいる。それを手を上げ、自分で読みます、といったから本当に偉いと思う。この詩を読む辛さを全部一人で引き受けたのだ。しかも人前に立ち、声を出しながら…。僕なら途中で詰まってしまって、先へ進めなかったかもしれない。 言葉にならない感動があった。
この生徒はガジュマルの木の精の役で一番最初に「まずいぞ」というセリフをいう。そのひとことを、どんなふうに言ってくれるか楽しみだ。
(この生徒は1学期、谷川俊太郎の「生きているということ」を読んだあと、宿泊で山に登った時、稜線の林の中を歩きながら、「あ、“木漏れ日がまぶしい”(詩の中の言葉)って、こういうことか」って言ったことがある。今度はどんなことを言ってくれるのかなぁ、と楽しみにしている。)
2008年10月10日 (金)
不動産屋に行った
ぷかぷかパン教室で焼き立てパンを試食した市会議員が、パンをえらく気に入ってくれて、空き店舗を探すための不動産屋を紹介してくれた。中山に古くからある不動産屋で、社長は83歳。近くの入所更生施設の理事をやっていたこともあって、ハンディのある人たちにはとても理解があるようだった。「おじさん、て同じように呼ばれても、ハンディのある人たちに呼ばれると、なんだか心があったかくなるんだよな」といった言葉がごく自然に出てきて、お店の趣旨もよく伝わったようだった。カフェベーカリーぷかぷかはおいしいパンやコーヒーを売るだけではなく、来た人の心があったかくなるような、そんなお店にしたいと思っている。
2年後くらいに中山駅南口は再開発される予定なので、新しい建物に入ったほうが厨房設備やお店は作りやすいのではないかという話になった。申し込みはいつ、どのような形でやるのか聞いたところ、それはうちでやるからいいよ、ともう俺に任せとけ、という雰囲気。一坪1万円くらいで、お店、厨房合わせて家賃は月40万~50万円。障害者支援センターからの助成金(1200万円くらいで、二人分の人件費と家賃)が入れば、まあ何とかなる。
20坪くらいのお店のイメージ作りのために絵をデザイナーに描いてもらおうと思う。
2008年10月14日 (火)
コーヒーカップ
「カフェベーカリーぷかぷか」で使うコーヒーカップの試作をしている。なるべくメンバーさんが作ったコーヒーカップを使いたいと思っているが、お客さんの好みもあるので、普通のコーヒーカップも用意したいと思い、いろいろ試作をしている。今まで文字を筆で書いて入れていたが、いまいちぱっとしないので、成形後、粘土がかなり堅くなったところで文字を彫り、そこに白い粘土を埋めつけた。これで文字がかなりくっきり浮かび上がると思うのだが、今日は木の板に彫刻刀で文字を彫り、それを成形直後のやわらかい粘土に押し当て、文字を転写する方法をやってみようと思っている。版画の味のある文字がコーヒーカップにそのまま転写できるので、おもしろい雰囲気のカップができ上がるのではないかと思っている。いまのところ電動ロクロで作っているが、手回しロクロも味があるので、そっちも作ってみたいと思っている。そのうち写真のせますので、欲しい方は連絡ください。
2008年10月17日 (金)
ガジュマルの木とキジムナーができるまで
学習発表会の舞台が終わりほっととしたところ。「ガジュマルの木とキジムナー」の芝居つくりはほんまに面白かった。二つの詩をまず作り、そこから芝居を起こしていった。
わしは ガジュマルの木 おじいさんの おじいさんの
そのまたおじいさんが まだわかかったころから
わしは ずっと ここに こうやって
えだをひろげてたっている
あめのひも かぜのひも もちろんはれのひも
ここにこうやって たっている そして
えだのかげには きじむなー
このガジュマルの木のイメージは、来年修学旅行で行く読谷村にある大きなガジュマルの木からヒントを得た。ガジュマルの木だけではお話が広がっていかない気がしたので、枝の陰にキジムナーを登場させた。そのキジムナーの詩
おれは きじむなー
ふるい おおきな がじゅまるのきが おれの すみか
あかるいうちは いちにちじゅう ひるね
よるになると ひゅわ~んと どこかへ とんでゆく
ひゅわ~ん ひゅわ~ん かぜにのって とんでゆく
さあ こんやは どこへいこうか なぁ ひゅわ~~ん
この二つの詩に曲をつけてもらった。ガジュマルの木は荘厳なイメージ、キジムナーは沖縄の音階を入れたはずむようなイメージ、という注文をだした。一ヵ月くらいして注文通りの曲が出来上がった。さっそくみんなで歌い、「キジムナーは、こんや、どこへ飛んで行くんだろう」という問題を各クラスで考えてもらった。7月にその発表会をやり、面白いものがあれば芝居に取り込むつもりでいたが、舞台に上げるにはちょっとという出来。
ここからが勝負だった。キジムナーがどこかへ飛んで行き、そこでの出来事と、沖縄の歴史がどこかで重なるようなお話…。沖縄の歴史で一番大事なのはもちろん戦争。それとガジュマルの木とキジムナーをどう結び付けるか。なかなか難しい問題だが、ここでいろいろ悩むのが芝居つくりの楽しいところ。たまたま以前舞台に上げた『トントンミーとキジムナー』というお話に出てくるキジムナーのやさしい心は戦争を解決する大事な部分。やさしい心は花を咲かせる。ガジュマルの木の精はずっと昔から歴史を見続けてきた存在。恐ろしい兵隊、楽しそうに暮らす親子、そういったプロットがいくつか並ぶと台本は一気に書きあがった。
大事なポイントに新しい歌を2曲入れた。大事なところはセリフよりも歌のほうがよく伝わる。何度も歌うことで、生徒たちにもその大事なところが入っていく。そして何よりも場が盛り上がる。
今回は歌に本当に助けられた。ガジュマルの木の歌もキジムナーの歌も、詩を作った時はなんということのない詩だったのだが、それが歌になり、何度も歌っているうちに言葉が詩を作った時のイメージをはるかに超えてむくむくと立ち上がり、生き始める気がした。歌の力をまざまざと感じた。すばらしい歌を作ってくれた西川先生に感謝!
★台本読んでみたい方はメールください。
2008年10月28日 (火)
第3回ぷかぷかパン教室
10月26日、第3回ぷかぷかパン教室。近隣のみどり養護学校、麻生養護学校からの参加もあり、総勢20名のにぎやかなパン教室。食パン、あんパン、プチパン、肉まんの4種類を作った。食パン、あんパンは前日に生地をこね、12時間ぐらい発酵させた。プチパン、肉まんは生地をこねるところから始めたが、みんな楽しそうにこねていた。ハンディのある人たちも親御さんが心配する以上に参加できたと思う。参加者の一人からこんなメールも来た。
見通しが立たないとなかなか動かないタイプなのですが、昨日は比較的すぐ場に慣れ所々意欲的に作業していたのでとても嬉しかったです。私自身充実した時間を過ごす事が出来ましたし、何より出来立てパンの美味しさに感激してしまいました。
お母さん自身が充実した時間を過ごしたというところがいいなと思う。
2008年11月25日 (火)
第4回ぷかぷかパン教室
11月23日、第4回ぷかぷかパン教室。養護学校の生徒、保護者、お友達、応援する人など総勢25名の参加で50坪くらいある調理室は超満員。その中でフランスパン、クロワッサン、お焼き風あんパン、肉まん、カボチャのポタージュを作った。メニューのうち、肉まん、カボチャのポタージュ、あんパンのあんこは保護者の方に担当してもらい、すべて任せた。少しずつ任せていければいいなと思う。任せられた方も、ただ参加するより楽しかったんじゃないかな。
フランスパン、クロワッサン、お焼き風あんパンは家でこねていった。フランスパン、クロワッサンは前日の夜、「レディ・シェフ」でこねる。1キロずつこねたので手でこねていたら大変。
お焼き風あんパンは自家製酵母を使ったので朝こねたのだが、種を作った時の水分量が多かったのか、こねあがりがべちゃべちゃで粉を何度か追加し、ようやく生地らしくなる。時間かけた分、生地の状態はとても良かった。
フランスパンを100gずつ分けてもらい、丸めてベンチタイム。みんな一生懸命丸めていた。こういうみんながかかわれる作業をどんどん入れていかないと場が持たない。クロワッサンは4分割して冷蔵庫へ。バターを65gずつ分けてもらい、ラップにくるんで麺棒でたたいて平らに延ばし、冷蔵庫へ。これも楽しんでたたいていた。お焼き風あんパンの生地を50gずつ分けてもらい、みんなで丸めて少しベンチタイム。
同時進行で肉まんの生地を白神こだま酵母を使ってこねる。発酵箱へ。
フランスパンを成形。これもみんなでよってたかってやった。小さなバケットがたくさんできた。発酵箱へ。
あんこができ上がり、生地の中に丸め込む。発酵箱へ。
クロワッサンの生地を冷蔵庫から出し、バターをはさんで折り込み。再び冷蔵庫へ。これを3回繰り返す。
肉まんのあんを作り、1次発酵の終わった生地に丸め込む。すぐに蒸し器へ。
フランスパンをオーブンに入れる。
肉まんが蒸しあがる。
フランスパンが焼き上がる。
お焼き風あんパンをオーブンへ入れ、天板を生地の上にのせて焼く。
お焼き風あんパンが焼き上がって、クロワッサンをオーブンへ。
みんなで試食しながら感想を聞いたら、肉まんと並んでクロワッサンがおいしいという人が多かった。バターを25%しか入れてないのでさっぱりしておいしいという意見が多い。機械で作った薄い皮のクロワッサンより、分厚いごつごつした感じの皮がおいしかったという意見が光っていた。みんなの手で作るおいしさだ。これこそ大事にしたいと思う。
2009年1月 1日 (木)
NPO法人申請書
12月31日 NPO法人申請書を書き始めた。定款という堅苦しい規約のはじめに法人の目的を書くところがあって、ここが一番のポイントになるので、とにかく思いを込めて書いた。
「この法人は、障害のある人たちが地域の中で生き生きと働くお店《カフェベーカリーぷかぷか》を運営する事業を行う。美味しいパンを作り、売るお店だ。街の中に彼らの働くお店があることで、たくさんの人たちがパンを買いに来て、障害のある人たちと出会う。《カフェベーカリーぷかぷか》は美味しいパンを作って売るだけではなく、街の人たちが障害のある人たちといい出会いをする場でもある。
出会いを積み重ねることで、街の中に障害のある人がいて当たり前、更に進んで、街の中には障害のある人がいた方がいい、彼らが街にいることで街の人たちが優しい気持ちをもてる、といったところまで行くといいと考える。相手に対してお互い優しい気持ちを持てるなら、お互いがもっと暮らしやすい街になるだろう。そういう街こそ私たちが求める街であり、《カフェベーカリーぷかぷか》は街の中にお店を構えることで、そんなやさしさにあふれた街を作っていきたいと考える。
お店に来るお客さん、あるいは街の人たちを対象に障害のある人たちと一緒に楽しめる様々なイベントを企画する。イベントを通してお互いが出会い、かけがえのない仲間、同じ街に一緒に住んでいる楽しい仲間になることができれば、街は少しずつ変わっていくだろう。パンを作って売ることに加えて、そういった企画をたくさん打ち出していきたい。」
事業計画では、特定非営利活動に係る事業以外のほかの事業を書くところで何か楽しいことをやろうと書き始めたらやりたいことが次々に出てきて、お店やりながらこんなにできるんだろうかと心配になった。
陶芸教室、パン教室、演劇ワークショップ、音楽会、映画会、夏祭り、クリスマス会、もちつき、合同ハイキング、小旅行などだ。
陶芸教室、パン教室は現在月一回ずつのペースでやっているのだが、お店が始まってからはさすがにきついと思い、隔月にした。
演劇ワークショップは月一回のペースで半年くらいかけて簡単な芝居まで持っていけるとおもしろいのだが、とりあえずは遠慮して年1,2回とした。
音楽会はオペラシアターこんにゃく座のオペラ『ロはロボットのロ』をぜひやりたいと思っている。「テトのパン屋」から始まる感動的なオペラをぜひやりたいと思っている。稼いだお金でこんなオペラが街の中でできたら最高だと思う。
映画会は障害のある人たちをテーマにした映画を年1,2回はやりたいと思う。映画のテーマと《カフェベーカリーぷかぷか》が街の中にあることの意味を重ね合わせながらお客さんたちと討論会ができたらいいなと思う。
夏祭り、クリスマス会、もちつき、合同ハイキング、小旅行は季節の行事で街の人たちと一緒に大いに楽しみたいと思う。
お店の運営以上になんだか楽しいことになりそうだ。
定款、事業計画のファイル、ごらんになりたい方はメール下さい
2009年1月 3日 (土)
生徒たちの「生きる」を引き出す
昨年の11月末にやった授業の話。すごくおもしろかったのでここに載せます。養護学校の生徒たちの思いがよく見えます。
1年ほど前、県教委の主催するアーティスト派遣事業に応募した。国数の時間、本を読んだり、詩を読んだりした後、感想を聞いても「面白かった」「楽しかった」というワンパターンの言葉しか出てこなくて、本当はもっといろんな思いが体の中を渦巻いているはずなのだが、その思いをうまく表現できてない気がしていた。アーティストに来ていただいて、そのあたりの問題が解決できないだろうかと申請した。それが審査に通り、コーディネーターの現場視察と聞き取りがあり、その結果、あちこちでワークショップをやっている演出家を派遣していただいた。
《言葉を豊かにする》ということが、たとえアーティストを呼んだとしても、わずか2,3回の授業で実現できるはずもないのだが、少なくとも手がかりくらいはつかめるのではないかと思った。演出家の柏木さんと打ち合わせをし、その後何回かのメールのやり取りで、昨年何度も朗読した谷川俊太郎の『生きる』を手がかりに、自分たちの『生きる』を引っ張り出す。それぞれの『生きる』をつなげて、みんなの『生きる』が見える集団詩を作る、という案が決まった。基本的には「ドラトラ」(詩劇)と呼ばれるワークショップの方法だ。
1回目の授業で谷川俊太郎の『生きる』を朗読した。昨年かなり読み込んだこともあって、びっくりするくらい積極的に朗読し、その後、それぞれの『生きる』をA4の紙に書き出した。2回目に短冊状に切った紙にそれぞれの『生きる』をひとことずつ書き、大きな紙の上に貼り出した。いろんな『生きる』をグループ分けし、並べる順番も考えた。グループ分けや順番を何度も入れ替え、みんなで吟味し、集団詩ができ上がった。3回目にその集団詩を朗読した。本当は簡単な芝居まで持っていきたかったのだが、途中で生徒同士のトラブルが発生、右往左往してるうちに結局時間がなくなり、朗読だけで終わってしまった。それでもそれぞれの『生きる』がはっきり見え、熱い言葉があふれたように思う。生徒たちを指導するのではなく、生徒たちと本気で格闘した柏木さんの姿勢が爽やかだった。それがこの素晴らしい詩を引き出したのだと思う。
人生を生きる。
家族がいること
家族を大切にするということ
たてななほがすきということ
彼と一緒にいると幸せということ
好きな人を見ること
友達がいること
今誰かと喧嘩をしたということ
その人との楽しい日々があるということ
それは幸せということ
かみまてさんとあそぶということ
毎日が楽しいこと
好きな映画を見ること
「ハリーポッターの話」
クッキング部でケーキを作ること
歌を歌うこと
カードゲームをすること
昔の新聞を出すこと
ハンバーガーを食べること
ダイエットをすること
世界遺産の写真を集めること
今、私はアルプスに行って富士山を見てすべての美しいものに出会うこと
今、私は命があるから生きている。
驚いたのは、生徒たちの様子である。生徒たちはずっと素のままだった。普通、外からお客様が来て授業をするとなると、多少は身構えたり、気取ったりするものだと思うが、それがない。ある人は怒り、ある人は沈み、ある人はけんかし、ある人は「おなかがすいたー」と叫び、何人かは大声で笑い、ある人は好きな本やアニメのことを長々書き、ある人は授業から出て行き、途中から出席した人はちょっと的外れなことを言い、ある人は前向きで何でも手をあげ、ある人は真面目に取り組み真面目さゆえに他の人に対して腹を立てていた。
普通に考えると教員である私はそれを注意しまくるところだが、今回はあえてそれをしなかった。する必要がないと考えたからである。
この授業の題材は『生きる』。素のままの彼らは確実にその場を『生きていた』。そして最後にできた詩は、誰にもかけないような、おもしろくて、楽しくて、自分勝手で、そしてとてつもなく美しいものになった。この人がこんな美しいことばを持っていたのかと感動させられた。
この詩をまとめたアーティスト柏木氏は、こんな体験は初めてで、とてもたいへんであったことは間違いない。しかし全身で彼らのことばを受けとめ、悩み、苦しみ、感動しながら授業を作り上げてくださった。彼らが素のままでいられたことは、柏木氏のお人柄によるところが大きい。生徒たちの情操を高め、心を豊かにすることばを探す試みとしては大成功であったと思っている。
2009年1月 7日 (水)
福祉施設の発想
NPO法人の予算書についていろいろアドバイスをもらうついでにパンの研修をやってきた。 ハード系のおいしいパンを焼いているお店で、いちばん見本にしたいカフェベーカリーなのだが、人通りの少ない場所にあることもあって、お客さんがさっぱりこない。その日は私を含めてたったの二人だという。せっかくのおいしいパンがほとんど売れ残っていた。こんなにおいしいパンが売れないなんて、もったいない話だと思ったのだが、思ったのは僕だけで、メンバーさんもスタッフも、お客が来ないことや、パンが売れ残ることに慣れっこになっているのか、さして気にしている風でもない。売れ残ったパンは次の日少し割引して売ったり、それでも残った場合はラスクにするそうだが、そんなことよりもお客がたった二人というのはハンディのある人たち10人ほどとスタッフ5人が働くお店にとっては「商売が成り立ってない」ということであって、どうしてそのことに気がつかないのだろうと思う。ふだんお店で売れるのはせいぜい6000円くらいらしいが、15人で働いて6000円しか稼げないというのはどう考えてもおかしい。あれだけおいしいパンを作っているのだから、その気になればもっともっと売り上げがあってもおかしくない。でも、そこを何とかしようという意気込みは感じられない。
以前来たときはメンバーさんそれぞれのペースと大事にしていてとてもいい雰囲気だと思ったのだが、今日はこの緊張感のなさってやっぱりまずいんじゃないかと思った。普通のお店であればこの程度の売り上げではすぐにでもつぶれてしまうだろう。それなのにつぶれもせず、何となく運営できてしまうのは行政から運営費の補助をもらっているからだ。それがないと運営が成り立たないというのはわかるとしても、そこによりかかりすぎると、商売をやっているという「緊張感」がなくなり、せっかくみんなでおいしいパンを作りながら、それを売り切る力もどこかへ行ってしまうようだ。これはやっぱりまずいと思う。「仕事」をやっている意味がどこかへ行ってしまうし、おいしいパンに対しても失礼だと思う。
お付き合いのある作業所でもせっかくいい場所で喫茶店を開きながらもやっぱり1日のお客さんはひとけた。それを笑って済ませてしまうところにこういう福祉施設の限界というか、大いなる問題があるように思う。「商売として成り立ってない」ということにどうして気がつかないんだろう。売り上げだけではない。たまたま知り合いがその喫茶店を訪ねたのだが、どこかの駅の待合室かと思った、と言っていた。ゆっくりお茶を飲む喫茶店としてお店を出しているにも関わらず、駅の待合室と間違えられるようでは話にならない。お客さんに対する姿勢がよく見える。
カフェベーカリーぷかぷかは、助成金をもらいながらの運営になるにしても「商売「をやっているという緊張感は持ち続けたいと思う。予算書ではあえて一日の売り上げを7万円にした。かなりきついと思うのだが、それを目標に頑張りたいと思う。
2009年1月12日 (月)
第6回ぷかぷかパン教室
1月11日 第6回ぷかぷかパン教室。本当は25日にやる予定だったが、足の手術が病院の都合で先へ延びたため、急遽この日に変更。そのためかどうか参加者は13名という少人数。でも何となくゆったりした雰囲気でこのぐらいがいいのかなと思った。
メニューは3月の緑区市民活動支援センター主催の祭りに出す田舎パンとドライカレーの組み合わせ。カレーパン、お焼き風あんパン。カレーパンは昨日櫛澤電気の澤畠さんにお店の件でいろいろ相談に行った時提案されたもので、要は調理室で作ったものを会場に持っていって売るよりも、その場でお客さんの目の前で作って売る方が場の雰囲気が盛り上がり、絶対に売れるという。フライヤーを貸すからカレーパンをやってみたらどうかといわれた。
ドライカレーも作ることだし、それを生地で包めばすぐできる、とクロワッサンの予定を前夜に変更。ギョウザの具をはさむようにドライカレーを生地で包んだが、あまりきれいにいかず、気が重い。どうなるかと心配しながら油で揚げたのだが、油に入れた途端ブッと膨らんで、とてもきれいな形のカレーパンができた。すごく美味しくて、これは絶対にいけるとみんなで確信した。塩しか入っていない田舎パンも南部小麦のうまさに支えられて大好評。養護学校高等部2年生のマサまでがカレーパンやお焼き風あんパンよりも田舎パンが気に入ったようで、舌が肥えてると、ちょっと見直した。
クッキーを作る作業所で給料が10万円を超える所があるという記事を読んだ。販路が相当あるのだろうと思った。大きな会社が自社の製品を売り込む時に挨拶かたがたちょっとクッキーをつけるとか、というような形だと、食べるだけのお客さんが買うよりも遥かに多い量がでる。福祉施設には珍しいほどの営業努力だ。クッキーはパンよりも価格が高いので、ヒットすればすごくもうかる。こういうこともそろそろ考えようと思った。
櫛澤電気の澤畠さんは会って話を聞くだけで元気が出てくるような人だ。どこかのバザーでスタッフ二人、利用者5人くらいで何かを売り、1日で1万円もうかったと喜んでるくらいではだめ。10万くらいは儲ける気でやらないと話にならないといっていたが、売り上げアップのために、お客さんの目の前で作り、場の雰囲気を盛り上げたところで売る、というアイデアは素晴らしいと思った。これは外から物を持ち込むより手間ひまがかかるのだが、あえてそれを背負い込むところに澤畠さんの姿勢が見えた気がして、すぐに気が合ってしまった。3月の祭りの時はカレーパン用のフライヤーと肉まん用の蒸し器を借りることにした。
2009年1月23日 (金)
先々安心の話
進路懇談会があった。今、高等部2年生は卒業後の進路先をある程度決めて実習先を決める。その話の中で「ここに入れれば、いろいろ面倒を見てくれるから、先々安心」といった言葉が頻繁に出た。仕事をするだけでなく、生活面の面倒も見てくれるという意味だ。
「カフェベーカリーぷかぷか」は今、パン屋を維持するには、一日にパンがどれくらい売れればいいのか、コーヒーは何杯、ランチは何食売れればいいのか、そのためにはどれくらいがんばって働かねばならないのか、お客さんをどうやって増やせばいいのか、といったことばかり考えていて、ハンディのある人たちの生活面のフォローまではほとんど考えていなかった。食事とトイレが一人でできれば、あとはまぁなんとかなるだろう、というきわめて楽観的な予測しかない。
もちろんいろいろな問題は出てくるだろう。その時はみんなでどうすればいいか考えるしかない。みんなで考えたり、悩んだりすることで、少しずつ「ぷかぷか」はできていくんだろうと思う。だから「ここに入れれば、先々安心」とはほど遠い。安心どころか、しょっちゅう問題が起こって、その度にみんなで悩んだり、話しあったりで、大変なことばかり。でも、大変な分、「ぷかぷか」を自分たちで作っていく、という素晴らしい楽しみがある。新しい「場」を作っていく、わくわくドキドキするような楽しみだ。うまくいくかどうかだってほんとうはわからない。わからないからこそ、トライする価値があるし、おもしろい。そこに賭けてみようという気持ちも出てくる。そのおもしろさがわかる人が今少しずつ集まってきている。そんな仲間が少しずつ増えてくれれば、と思う。
2009年2月20日 (金)
ぷかぷかファンド
NPO法人ぷかぷかの申請書が完成した。予算書が一番大変だったが、ベースはあったので、数値を入れ直すくらいでなんとか完成。初期費用の助成金を出してくれるところが日本財団以外になかなか見つからなくてネットで探したり、電話をかけまくったりして、なんとか初期費用2400万円の70%位を助成金でまかなえそうなことが見えてきた。自己資金が700万円くらい必要なので、これをどうやって集めるかが大きな課題だ。
寄付と借金になると思うが、ただ「寄付」では芸がないので、「ぷかぷかファンド」というのを立ち上げてみようかと思う。障がいのある人たちが生き生きと働くことのできる場が街の中に実現することへの「投資」。リターンはお金ではなく、街の中で働く彼らの笑顔であり、彼らと出会うことで街の人たちが得る心のあたたかさのようなものだ。
法人の目的にある【この法人は、障がいのある人たちが地域の中で生き生きと働くお店《カフェベーカリーぷかぷか》を運営する事業を行う。美味しいパンを作り、売るお店だ。街の中に彼らの働くお店があることで、たくさんの人たちがパンを買いに来て、障がいのある人たちと出会う。《カフェベーカリーぷかぷか》は美味しいパンを作って売るだけではなく、街の人たちが障がいのある人たちといい出会いをする場でもある。
出会いを積み重ねることで、街の中に障がいのある人がいて当たり前、更に進んで、街の中には障がいのある人がいた方がいい、彼らが街にいることで街の人たちが優しい気持ちをもてる、といったところまで行くといいと考える。相手に対してお互い優しい気持ちを持てるなら、お互いがもっと暮らしやすい街になるだろう。そういう街こそ私たちが求める街であり、《カフェベーカリーぷかぷか》は街の中にお店を構えることで、そんなやさしさにあふれた街を作っていきたいと考える。
お店に来るお客さん、あるいは街の人たちを対象に障がいのある人たちと一緒に楽しめる様々なイベントを企画する。イベントを通してお互いが出会い、かけがえのない仲間、同じ街に一緒に住んでいる楽しい仲間になることができれば、街は少しずつ変わっていくだろう。パンを作って売ることに加えて、そういった企画をたくさん打ち出していきたい。】ということへ「投資」をする。アメリカのウォール街とは全く発想の違う「投資」だ。こういう「投資」こそが、今必要なのではないかと思う。
2009年3月10日 (火)
ビジネスプラン
NPO法人申請のための予算案ができてから、どうも話す相手を説得できてないなという気がしていた。計画が話だけで終わる段階はともかく、お金という具体的なものがからんでくる段階になると、情熱や思いだけではなかなか前へ進めないことが、人と話す中でだんだん見えてきた。
たまたま福祉ベンチャーパートナーズ(http://www.fvp.co.jp)からの「福祉起業家経営塾」の案内メールの中にあった「福祉起業ビジネスプラン作成のポイント」「福祉起業のマーケティング戦略」「誰に」「何を」「どのように」提供するのか、といった言葉に、「ああ、これこれ、こういうことが今必要なんだ」と、なんだか救われたような気持ちになり、すぐに相談の電話をした。4日間のセミナーで、最終的に自分のビジネスプランをしっかり作るという。銀行に融資を依頼する際、このビジネスプランを持っていけば多分大丈夫といえるくらいしっかりしたプランだという。こういうものができれば、どこへ行っても計画をきちんと説明できる。
いや、なによりも「カフェベーカリーぷかぷか」が街のパン屋としてちゃんとやっていけるかどうかが具体的に見えてくる。障がいのあるメンバーさんには年金とあわせればグループホームで自立生活が送れるだけの給料を払いたいし、スタッフにも生活に困らないだけの給料はきちんと払いたいと思っているのだが、そういったこともはっきり見えてくるだろう。そしてそれを実現させるためには何をどうすればいいのかも具体的に見えてくるだろう。
セミナーの最終日4月11日にビジネスプランのプレゼンテーションがある。今からわくわく楽しみにしている。
2009年3月11日 (水)
福祉の制度を使って商売
障がい者支援センターの話によれば「カフェベーカリーぷかぷか」は障害者自立支援法にある「地域活動支援センター作業所型」にあたるそうで、障がいのある人が10人働いていて場所が確保できていれば年間約1200万円くらいの助成金がでるという。
作業所であってもうちはパン屋としてしっかり仕事をやって、しっかり儲ける予定です、といった話をしていたら、「福祉の制度を使って商売をするということですか?」なんて言われてしまった。
作業所であっても、みんな暮らしていくためのお金を稼いでいるわけで、これは立派な商売ではないのか。ただ商売の仕方がはっきり言ってあまりうまくないというか、ちゃんとやっていこうという気持ちがあまりないように思う。喫茶店でありながら、駅の待合室のような雑然とした雰囲気であったり、一日のお客さんが数名で満足してたり、その気になればもっともっと売り上げが伸びるのに、その気がないのかどうか、現状はなかなか変わらない。このあたりは「福祉施設の発想」と題したブログに描いているのでぜひ読んで欲しい。
助成金に乗っかっていれば、それほどがんばらなくてもとりあえず場所は維持できる。要はそれで満足するかどうかなのだが、「カフェベーカリーぷかぷか」はなんとなくぬるま湯のような場所にはしたくないなと思う。パンは天然酵母を使った思いっきり美味しいパンを焼きたいし、店頭販売はもちろん、出張販売、注文販売など、営業活動をしっかりやりたい。併設の喫茶店にはできればオーダーメイドの椅子、テーブルを置いて落ち着いた雰囲気を演出したいし、コーヒカップやお皿などはすべて手作りの陶器を使ってあたたかな雰囲気にしたい。美味しいコーヒーと安心して食べられるおいしいランチ、それになんとも楽しいメンバーさんたち。それらをウリにした喫茶店だ。(お店の雰囲気はホームページに書いています) 銀行でも通用するようなしっかりしたビジネスプランを立て、しっかり稼ぎたいと思う。メンバーさんもスタッフも、がんばればがんばっただけ給料が増えるという、ごくあたりまえのシステムを作りたい。
福祉の世界は「お金もうけを考えない」といった妙な思い込みがあるようだが、福祉の世界だって生身の人間が生きているわけで、霞を食べてやっていけるわけではない。しっかり稼いで、生活の基盤を整えることはまず第一にやるべきことだと思う。そしてしっかり働くことは障がいのある人たちのとって、なによりも生きる上での自信をつけることにつながっていく。
カフェベーカリーぷかぷかは福祉の制度を使いながらしっかり商売をやりたいと思う。
2009年3月22日 (日)
福祉起業家
福祉ベンチャーパートナーズの福祉起業家経営塾は養護学校で働く私にとってはとても新鮮な内容だった。
福祉起業家とはとにかくやりたいからやるのであって、一つの自己実現であり、それは「福祉」とは全く発想が違う。やってあげるとかお世話するとか、まして指導するといったことではなく、とにかく一緒にやる、一緒に働くということ。そのことが好きで好きでしょうがないこと。ボランティア活動ではなく、経済活動であること。そこで働く障がいのある人たちはもちろん、自分自身も幸せになるということ。どれもこれも納得できることだった。
「カフェベーカリーぷかぷか」は私自身の漠然とした思いでスタートし、イメージを作ってきたが、福祉起業家とは何か、の話を聞いて、まさに「カフェベーカリーぷかぷか」がやろうとしていることはこれだ!とあらためて気がついた。
養護学校で知的障がいのある人たちと毎日お付き合いしていて、彼らのことが本当に好きになってしまった。彼らとずぅっと一緒に生きていきたいと思っている。なんとなく一緒、ではなく、しっかりと一緒に生きていきたいと思う。その一つの手段が「カフェベーカリーぷかぷか」だ。経済的に成り立たせるにはかなりの苦労が予想される。でもその苦労も楽しみながらみんなでやっていきたいと思う。福祉の枠に寄りかかることなく、自分たちの力でしっかり立ちたいと思う。
2009年3月26日 (木)
助成金なしで
昨日障がい者支援センターに行き、助成金のことで話をしてきました。カフェベーカリーぷかぷかは障がい者自立支援法の中の「地域活動支援センター作業所型」に当てはまるので、障がいのある人が10人いて建物があれば年間1200万円の運営費の助成をするということだったのですが、話を詰めていくと、お金を出す以上、勝手なことをしてもらっては困る、いわゆる作業所としての機能を果たしてもらわないと困る、作業所は障がいのある人の居場所でもあり、仕事ができないひとのプログラムはどうするのか、メンバーさんの生活全般のケアはどうするのか、地域の障がい者のニーズを把握した上での事業なのか、ケースワーカー、養護学校進路担当、就労支援センターとの連携はとっているのか、等々、向こうは言いたい放題で、お金を出す立場というのはやはり「権力者」なんだとつくづく感じました。こんなお金をもらって不自由するより、お金なしで苦労しても自由にやった方がいい、と途中で帰ってきました。
ただ障がいのある人の立場に立てば、のんびり毎日を過ごす場所と、しっかり仕事をする場所の選択があってもいいのではないかと思いました。現にぬるま湯のような雰囲気の作業所に通いながらも、やっぱり自分を試したい、しっかり仕事をやってみたいという人が、うちのパン教室に来ています。そういう人がどこかで自分を実現したいと思った時、支援センターの作ってきた作業所ではやはり対応できないのではないかと思います。
企業に就職するのは難しいけれど、それでも自分なりにしっかり仕事をしたい、しっかりお金を稼ぎたい、そのお金で少しでも自立したい、と思っている人たちはたくさんいると思います。働くことはただお金を稼ぐといったことだけではなく、自分を実現することでもあり、人生を活性化させ、充実させます。ぷかぷかはそういうことができる場にしようと思っています。助成金なしの予算書を作ると、数値の上でもかなり厳しいことが見えてきます。でも、そこで勝負していくしかないなと思います。
いろんな方からのアドバイス、お願いします。
2009年3月30日 (月)
Pさんへ
いつも貴重なご意見ありがとうございます。制度は利用するものであって、利用されるものではない。全くそうですね。ただ支援センターの人たちと「福祉の制度の中で何がどこまでできるか」について話をしていて感じたのは、彼らにとって大事なのはあくまで《作業所》という《場》であって、《パン屋》ではないということです。あたりまえといえばあたりまえなのですが、早い話、カフェベーカリーぷかぷかで売っているパンが売れ残っても、彼らにとってはどうでもいいことで、カフェベーカリーぷかぷかという場が存続すればいいわけです。だから私が売れ残りが多いと赤字になると、その販売についていろいろ悩んだりすると、そんなことよりもメンバーさんのケアの方が大事ではないか、というわけです。パン屋にとっては売れ残りが出るのは大変な問題だと思うのですが、どうもそのあたりで認識のズレがあるのです。
ぷかぷかは商品としてのパンを作り、ちゃんとした喫茶店をやろうと思っていますので、スタッフを支援センターが想定するよりも3人多く見積もっています。その3人分の人件費をパンの売り上げでまかなうとすると、パンを必死になって作る必要があり、そうなるとメンバーさんのケアはどうなるのかと心配するのです。
借入金(パン屋はオーブンなどの初期設備にお金がかかるため、ぷかぷかはかなりの借入金の上でスタートします)の返済に関しても、そのためにパン屋の営業に力を入れすぎると、メンバーさんのケアがおろそかになるのではないか、というのです。
私は作業所によくあるぬるま湯のような雰囲気(それほどがんばって仕事をしなくても《場》が維持できるという気楽さ)ではなく、緊張感ある雰囲気の中でメンバーさんと一緒にパン屋の仕事をきっちりやっていきたいと考えているのですが、どうもそのあたりがうまく伝わらないようです。緊張感があってこそ仕事は人を成長させ、人生を充実させ、人生に自信を持たせるのではないでしょうか。
ところが、彼らにとってはパン屋は付け足しのようなもので、全力投球で取り組むようなものではないのです。工賃をあげることには賛成だが、あくまでほどほどに、という感じのようです。ですから支援センターのホームページにある「自主製品の販路拡大事業」にも、わざわざ市長の写真と挨拶を載せながらも《本気》が感じられないのです。あれで販路が飛躍的に拡大できるとは到底思えません。
これに比べると横浜市のコミュニティビジネス支援事業http//www.cbsmiles.jp/ の方が、はるかに前向きの視点で事業をやっている気がします。ここにはぷかぷかの設立案ができた時に「空き店舗を活用した商店街活性化事業」として相談に行ったのですが、かなり興味を持ってくれて、そのすぐあとにあった第1回のパン教室に様子を見に来てくれました。同じ企画案を見ていながら支援センターとは反応が全く違います。支援センターは毎回案内出してるのに、まだ一度もパン教室にも来ていません。アンテナの感度が違うのではないかと思います。
コミュニティビジネス支援事業の課長さんが送ってくれた資料の中で見つけたTRY OUR LIFE http://trife.cocolog-nifty.com/blog/cat5646054/index.html に紹介されている製品は本当にビジネスの世界に通用するものだと思います。
支援センターにはこういう魅力ある商品を作り出す、とか見つけ出す、といったセンスは感じられません。ぷかぷかでやろうとしていることがなかなか伝わらないのはこのあたりのセンスの問題かなとも思います。
ハンディのある人を10人も集めて始めるのではなく、小さなパン屋でハンディのある人に3,4人来てもらってこじんまりと始めるのもいいかなと思っています。あくまでハンディのある人たちと《一緒に働く》というスタンスです。《支援》ではないのです。そしてできれば自立生活できるだけの給料(最賃)を払ってあげたいと思っています。かなりがんばる必要がありますが、福祉ベンチャーパートナーズのセミナーhttp://www.fvp.co.jp/semeve/20090314/index.phpでビジネスプランを作る中で、これは十分可能な計画であることが見えてきました。プランができ上がり次第お見せしますのでまたご意見聞かせて下さい。
2009年4月 1日 (水)
コンサルタントに相談しました
昨日、TRIFEの手島さんに会っていろいろお話をお伺いしました。http://trife.cocolog-nifty.com/blog/cat5873239/index.html
http://sellthechallenge.cocolog-nifty.com/blog/
コンサルタントをやっているだけに事業を立ち上げていく上での実践的なアドバイスをいただきました。
天然酵母を使うにせよ、ただ美味しいパン、というウリだけでは負けてしまう。ここにしかないもの、ここでしかできないものを創り出さないと、もっと美味しいパンを売るお店ができればすぐに負けてしまう。中山周辺にあるものとからませるような「物語」ができるといい。たとえば有名なズーラシアのゾウやオカピのうんこを使って有機農業をやり、そこで取れた小麦を使ったパンを作れば、エネルギーの循環サイクルができ、これは地元で大きな話題になるし、その循環サイクルに協力しようという人はたくさんいるはず。
更には地元でできる素材でパンの材料になるものを探し、ぷかぷかでしかできないパンを作れば、ほかのパン屋ができても簡単には負けない。
横浜商科大学とコラボレーションをやって、どうやったら事業として成功するか一緒に考える。
中山周辺にある「浜梨」を使ったパン、お店に来たくなるような企画、お店に来ると楽しくなる企画、幸せな気分になる企画、等々、とにかくいろんなアイデアをもらいました。なんだかおもしろくなりそうです。
中山でしかできないもの、ぷかぷかでしかできないもの、オリジナルな企画を募集します。おもしろいアイデアをお寄せ下さい。
2009年7月 1日 (水)
NPO法人の申請をした
神奈川県にNPO法人の申請をし、何度か書き直した末、ようやく受理された。2ヶ月間縦覧し、その後県の方できちんと審査し、3ヶ月後に認証される見通しだという。
認証はともかく、もう少し、組織の実態としてしっかりさせなければと思う。お手伝い感覚の人が多いのだが、もう少し積極的に参加してもらうためにはどうすればいいのか。お手伝い感覚では困るといったところで、そこを超えてやるかどうかは、それぞれが本来持っている性格のようなものなので、こちらがとやかく言う筋合いのものでもない。そこが難しいところだ。副理事をやっている塩田さんのようなかかわり方が欲しいのだが、難しいのかなぁ。
場所の選定をどうするか。都市機構の団地の空き店舗はチャレンジスペースとして半年間家賃がただなのだが、人通りが全くなく、外販を主にするにしても、お店に全くお客がこないのもさびしいものがある。1年くらいそこで修業して、中山に乗り込もうかと思ったが、オーブンメーカーの社長から、設備を据え付けるのならそこに根を張るつもりでやらなければだめだと言われた。それに中山を離れると「げん木」はついてこない。これが大きい。「げん木」が一緒にこなければ、ランチタイムのメニューがとても貧しくなるような気がする。
とにかく中山商店街の空き店舗の価格が高すぎる。ひょっとしたらあまり困ってないのかも、と思ったりする。
中山と十日市場との中間にある園芸店の敷地を借りる案はうまくすればかなりおもしろいものになりそうだ。花を買いに来た人がちょっと一息ついてお茶を飲むスペースを提供する。ついでにおいしいごはんを食べたりパンを買ったりする。パンを買いに来た人が花も買う。お互い損はしないのではないかと思う。先日飛び込みで行って断られたが、丁寧に説明すれば可能性がないでもない。
横浜市経済観光局コミュニティビジネス課の主催する空き店舗を利用した商店街活性化のためのビジネスプランを提出した。中山商店街が難しそうなのでやめようかと思っていたのだが、手を上げるだけあげといたら、とアドバイスされ、書類を提出した。親切に待っていてくれたので、ひょっとしたら可能性があるのかも。
NPO法人の書類、空き店舗のビジネスプランを見たい方はメール下さい。
2009年7月18日 (土)
場所が決まらない
7月17日 今日、横浜市経済観光局コミュニティビジネス振興課に行って、空き店舗活用のビジネスプランのヒアリングを受けてきました。販売ルート、販売方法、仕入れ先などがまだまだ不明確、という指摘を受けました。30日に審査員5名を前にしたプレゼンテーションがあるので、それまでにそのあたりをもう少し具体的に詰めておきたいと思っています。プレゼンテーションには20団体がエントリーしていて、審査に通るのは2~3団体なので、よほどインパクトあるプレゼンテーションをしないとかなり厳しい状況です。何かいいアイデアがありましたら教えて下さい。審査員はコミュニティビジネス振興課が外部から呼ぶ専門家です。
今、最大の問題は場所が決まらないことです。ビジネスプランの収支計算で見えてきたことは、ぷかぷかの生産高で借りられるのは、月10万円から15万円の場所で(先日提出したビジネスプランは月25万円を前提にしていますが、これだと3年経ってもまだ赤字が解消できなくて、これはやはりまずいと思います)、坪1万円から1万5千円が相場の中山商店街では、ぷかぷかの趣旨に賛同し、これなら安く貸してもいい、という奇特な方が現れない限り、かなり難しいかなという気がします。必要なスペースはパン工房、店舗合わせて20~30坪です。格安で貸してくれるところ、あるいは奇特な方、ご存知でしたら、ぜひ紹介して下さい。
緑区霧が丘のグリーンタウンの空き店舗は月11万円くらいで、しかもチャレンジスペースとして半年家賃が無料なので、なんとも魅力的なのですが、土曜日の午後現地を見に行った時は、人通りが全くありませんでした。だから半年間家賃ただ、という条件を出さないとテナントが集まらないのでしょう。外販を主にするにしても、お店にお客さんが来ないというのもさびしいものがあります。どうしたものか思案しています。みなさんのご意見お聞かせ下さい。
2009年7月29日 (水)
プレゼンテーション原稿
明日横浜市経済観光局商業コミュニティビジネス課の空き店舗を活用するビジネスプランのプレゼンテーションがあるので、大慌てで原稿を書いた。直前に霧が丘グリーンタウンの空き店舗を使うことがほぼ決まったので、そこでどう関係を作っていくかでいろいろ考えた。ひょっとしたらなかなかおもしろくなりそう。以下、明日の原稿。
「 高崎といいます。街の中に障がいのある人たちの働く場を作ろうと思っています。具体的にはパンを作り、それを販売するお店です。彼らの中にはうまくおしゃべりができなかったり、字が読めなかったり、簡単な足し算もできない人もいます。でも、そんなことをはるかに超えた人としての魅力を持っています。
私は養護学校で30年彼らとつきあってきました。自分の中にある人間のイメージを大きくはみ出す人も多く、初めのころは戸惑うことばかりでした。でも、いろいろつきあってみると、私たちにはない,なんともいえない魅力をたくさん持っていて、この人たちとはずっと一緒に生きていきたいと思うようになりました。一緒に生きていった方が「得!」という感じです。彼らと一緒にいると毎日が楽しいからです。教えられるものがたくさんあるからです。
昔、私がまだ学生の頃、胎児性水俣病の子どもを抱きながら、「この子は宝子ばい」と言っていたお母さんがいて、その「宝子」の意味がどうしてもわかりませんでした。重い障がいをもった子が、どうして「宝子」なのか、ということです。でも、障がいのある子どもたちと30年付き合ってきた今、「宝子」という言葉に込めたお母さんの思いが痛いほどわかるようになりました。ぎすぎすした息苦しい今の世の中にあって、ただそこにいるだけで心安らぐような雰囲気を作ってくれる彼らの存在は、やはり「宝」といっていい存在だと思うのです。
そういう「宝」が、かつてあったおおらかさがなくなり、どんどん息苦しくなっていく今の社会には必要なんじゃないか、私はそんな風に思います。街の人たちに、そんな「宝」のような存在に出会ってほしい。彼らと一緒に街の中でパン屋を始める理由のいちばん根っこにはそんな思いがあります。
とはいうものの、彼らと一緒に働くことは、生産性の面からみると、極めて厳しいものがあります。彼ら抜きで働いた方が、ずっと効率はいいでしょう。でも、効率のみを追い続ける社会はお互いがとてもしんどくなります。世の中に一つくらいは、効率のよさを追わないところがあってもいいのではないか。彼らの働くペースを見て、なにかほっとするようなものを感じるなら、それは社会の中にあってとても大事な場所になると思います。効率を追う社会の中で疲れ切った人が「ああ、こういう働き方もあったか」と気がつくなら、それは一つの救いにもなるでしょう。
そこそこ食べられればいい。効率のいい稼ぎより、彼らと一緒に楽しく、お互いが「い一日だったね」って言えるような働き方をあえて選びたいと思うのです。もちろん最低限、パン屋を回していくだけの働き方は必要です。その働き方のレベルをどう設定するか、そこが大きな問題になると思います。
霧が丘グリーンタウンの空き店舗を利用する予定です。人通りがほとんどない商店街で、外販を主にするにしてもお店に人が来ないのはやはり問題なので、お客さんを呼び込む工夫をいろいろしたいと思います。 すぐ近くに保育園があるので、試食用のパンを持っていきます。アトピーの子どもにも安心して食べさせられる素材(牛乳、卵、脱脂粉乳などを使わない)を使った美味しいパンを職員、保護者に配ります。若い母親たちに受け入れられれば、その人たちのつながりを使ってパンの宣伝をします。 機会があれば、保育園の子どもたちを対象にパン教室をやり、子どもたちと一緒においしいパンを焼きたいと思います。子どもたちはパンをこねたり、生地で形を作ったりするのが好きなので、こういう機会を何度か持ちたい。もちろん親の参加も自由。オーブンの中でパンがふくふくと膨らむ様子を子どもたちは大はしゃぎで見ています。そういうわくわくするような場を子どもたちに提供したいと思います。
子どもと親を対象にした陶芸教室もやってみたい。自分で作ったコップにミルクを入れ、自分で作ったお皿にパンをのせて食べよう。きっといつもと違う味がするはず。親は自分で作ったコーヒーカップにおいしいコーヒーを入れ、自分で作ったお皿にはこれも自分で焼いたスコーンをのせ、自家製のジャムをはさんで食べよう。
以前担任していた子どもの親がグリーンタウンの自治会の役員をやっていたので、そのつながりを通してパンの宣伝をします。自治会のお祭りに参加し、みんなでバームクーヘンを焼いたり、肉まんを売ったりします。バームクーヘンは炭火の上に太い竹をかざし、その上に生地をお玉で少しづつのせ、竹をぐるぐる回しながら時間をかけて焼きます。そういった楽しいイベントを通して地域の人たちとつながりを作りたい。
お祭りといえば焼き鳥、焼きそばが定番だが、そんな中でバームクーヘンを焼いたり、肉まんの販売はかなり注目を浴びるだろう。とてもいい宣伝になると思う。 地域の人たちといい関係ができれば、障害のある人たちも入れて演劇ワークショップもやってみたい。演劇という、日常から少し自由になる空間の中でお互いのいい出会いがあればいいなと思う。地域の人たちが障害のある人たちと一緒に舞台に立つことができれば、すごいことではないかと思う。
カフェベーカリーぷかぷかは、ただ単にパンを売るだけでなく、地域の人たちと一緒に楽しいことをたくさんやって、いい関係を作りたいと思っています。その関係つくりの結果の中でパンが売れ、障がいのある人たちの存在が自然に受け入れられ、地域の「宝」のような存在になればと思っています。」
霧が丘での関係づくりの企画を考えているうちに、なんだか自分でもだんだん元気になってきたので、この調子で行けば、明日のプレゼンテーションはなんとなくうまくいきそうな気がする。おもしろい企画、元気な企画がいい、と説明会であったので、ひょっとしたら横浜市と神奈川県、合わせて650万円ゲットかも。
2009年8月11日 (火)
ビジネスプランが審査に通った
横浜市経済観光局商業コミュニティビジネス課が募集していた空き店舗を使った商店街活性化のためのビジネスプランに応募していたのだが、審査に通ったという連絡が入った。6月末に提出し、7月半ばにヒアリング、8月初めに審査員5人を前にプレゼンテーションを行った。
始まる前に審査員に自分で焼いたパンを食べてもらおうと前日に焼いておいたのだが、その肝心なパンを忘れたことに駅で気がつき、家まで取りに帰っているうちにプレゼンテーションの始まりの時間に遅れ、電車で会場に向かっているときに担当者から携帯に「今、どこにいますか?」という連絡が入る始末で、散々な始まり。それでもはぁはぁ息を切らしながらパンを配ると、「あ、おいしいじゃん!」という声があちこちから上がり、パンに入れたオレンジピールやシンプルな材料の話をする。
ビジネスプランの話は、どうしてハンディのある人たちといっしょに仕事をするのかといった話につい力が入り、「あと3分です」の声に慌ててビジネスの話をしたが、なんとも中途半端。そのシロウトさがよかったのか、最初に配ったパンが効いたのか、とにかく専門家の審査に通ったのだから、何事もやってみなきゃわからないものだとつくづく思った。
空き店舗の改修費用と家賃補助として横浜市から300万円、神奈川県から350万円、合計650万円の大金。初期費用が約2100万円ほどかかるので、退職金が全部飛んでしまうのではないかと心配していたのだが、本当に大助かり。ただ家賃に関しては、予定しているUR都市機構の霧ケ丘グり−ンタウンの空き店舗はチャレンジスペースとして半年間家賃がただなので、せっかくの補助金がちょっともったいない。
それでもこのお金で計画が具体的に大きく前に進みそうだ。
2009年8月24日 (月)
なつまつり
自治会の夏祭りにカレーパン、肉まんをそれぞれ70個、計140個を販売。朝からドライカレーを汗だくで作った。中華鍋いっぱいにつくり、さすがに疲れた。同時進行で生地4キログラムを仕込む。お昼前になってバームクーヘンを焼くための炭を買うのを忘れていたことに気がつく。昼過ぎに大慌てで炭を買いに行く。
午後1時、マンションのパーティルームに行き、パンクラブのメンバーと生地を分割。ベンチタイムの間にパン粉を炒め、肉まんの具を作る。ベンチタイムの終わった生地にドライカレーを中に挟む。パン粉をつけ、オーブンで焼く。肉まんの生地を分割、ベンチタイムの後、具をはさんで蒸し器に。
午後4時のほぼでき上がり、バームクーヘンの材料と竹、炭を持って会場へ。バーベキューコンロに墨を並べ火をつけようとするが、なかなかつかなくて焦ってしまう。大人3人がかりでようやく火がつく。竹に生地をつけ、炭火で焼く。そうしているうちにカレーパン、肉まんが到着。すぐに長い列ができて、30分足らずで売り切れ。
若いお母さんが、このパンには卵や牛乳が入ってますか?と聞いてくる。アトピーの子どもを抱えているので、そのことをいつも心配しているという。うちのパンは牛乳も卵も使ってないので大丈夫ですよ、と説明。安心した様子だった。
バームクーヘンは結局2時間かかって焼き上げる。前回ちょっと固いという意見があったので今回はイーストを少し入れたら柔らかく焼き上がり、なかなかの味。あっという間に無くなった。
2009年8月31日 (月)
マッキンリー
押し入れを整理していて、昔アラスカのマッキンリーに登ったときのパネル写真を見つけた。カヒルトナ氷河から撮ったマッキンリーの写真はものすごい迫力があって、自分のことながらよくこんなところに登ったものだと、信じがたい思い。25歳の時のほとばしるようなエネルギーを思った。技術的な問題はもちろんあるが、それ以上に、あそこに登りたい!という思いの生み出すすさまじいエネルギーをパネル写真を見ながら思った。
計画段階で、そんなの無理だよとかいう声が多かった。でも、やってみないことには何事もわからないわけで、やる前から無理だよなんて言ってたら何もできない。で、とにかく行けるところまで行ってみよう、とどんどん先へ行ってるうちに、とうとう頂上まで行ってしまったというわけだ。
もちろん実際はそれほどのんびりしたものではなく、頂上直下ですさまじい地吹雪で動けなくなったときは、さすがにひょっとしたらダメかもしれないと思ったりした。
「カフェベーカリーぷかぷか」の計画もおんなじだなと今思う。1年前、準備がスタートした頃は、計画もぼんやりしたもので、夢を語る、といったものだった。それがパン教室を続けたり、いろんな人に相談したり、ビジネスプランを立てるセミナーに参加したり、それを試すべく横浜市の空き店舗を活用する商店街活性化のためのビジネスプランに応募したり、パン屋に修行に行ったりしているうちに、場所が決まり、設備の見積書を取ったり、レイアウト図を検討したり、といった段階まで来てしまった。決して計画通りといったわけではなく、どちらかといえば行き当たりばったりの感じが多いが、それでもここまで来た。これからもっともっと大変になるだろう。マッキンリーも標高5000メートルを超えた辺りから極端に厳しくなった。あの時のように、行けるところまで行こう、ではすまない責任が今回はある。それでもマッキンリーの写真は今改めて勇気と言うか元気をくれたように思う。
2009年10月22日 (木)
ぷかぷか協力債
カフェベーカリーぷかぷかの応援 お願いします 養護学校の過大規模課の問題が話題になっていますが、この問題はそのまま卒業後の行き場の問題になります。そして人生に占める割合を考えると、在学中よりも卒業後の行き場の問題のほうがはるかに大変です。障がいのある人たちが街の中で働く場「カフェベーカリーぷかぷか」を作る試みは、その問題にストレートの答えるものです。とにかく彼らの行き場を具体的に一つ作るのです。
2008年6月より準備を始め、緑区霧ケ丘に場所を確保し、改修工事に入るところまで来ました。早ければ11月半ばに工事開始、年内にはベースの工事が終わって、年明けからみんなで装飾(壁塗りやドアや橋の製作など)の工事をし、3月にはオーブンなどの設備設置工事をやって、試運転に入ります。
改修工事が約1200万円、設備工事が約900万円、試作品に50万円、什器備品に100万円、開店費用に100万円、仕入れ資金に150万円、運転資金に300万円、合計で約2800万円かかります。とりあえず退職金を担保に日本政策金融公庫から融資を受けてスタートする予定ですが、ゆとりある資金繰りをするために「ぷかぷか協力債」を発行します。
① 本協力債は「カフェベーカリーぷかぷか」の事業を推進するためにNPO法人ぷかぷか理事長の責任において起債するものです。 ② 額面は1万円、5万円、10万円の3種類。 ③ 償還は起債後3年ですが、1年経てば、請求があればいつでも償還します。 ④ 利息はありませんが、年間、額面の2%程度のパンをプレゼントします。 ⑤ 協力債を購入される方は、お名前、住所、額面、償還の時の銀行口座番号をメールにてお知らせください。メール環境のない方は郵便の振替用紙に、その内容をお書きください。 ⑥ 寄付、カンパも受け付けます。 ⑦ お金の振込先は郵便振替口座にお願いします。 口座番号 00260-4-97844 口座名称 NPO法人ぷかぷか ⑧ 事業計画を作っていますので、ご希望の方にはお送りします。できればメールでリクエストください。折り返し添付ファイルでお送りします。
この事業計画は横浜市経済観光局コミュニティビジネス課の空き店舗活性化事業に応募したものですが、審査に通って、なんと650万円もの助成金をゲットしました。
⑨ ホームページはYahoo!で「カフェベーカリーぷかぷか」で引けばトップで出てきます。http://homepage3.nifty.com/pukapuka/
設立の趣旨、今までやってきたこと等、「カフェベーカリーぷかぷか」の全体が見えます。
★ 問い合わせ:メールmailto:takasakiaki@nifty.com 電話045-934-4648(高崎)
NPO法人ぷかぷか 理事長 高崎明
2009年10月26日 (月)
ワークショップ
24日、あざみ野アートフォーラムで仮面のワークショップをやった。3時間弱の短いワークショップだったが、ワークショップの持つ「力」をあらためて感じた。参加者はハンディのある人もいれて十数名。デフパペットシアターの元代表の庄崎さんと組んでファシリテーターをやったのだが、言葉をいっさい使わずに参加者を動かしてしまう力には、正直すごいなぁ、と思った。
ワークショップの前にエントランスホールで、言葉を使わない独り芝居をやったのだが、これがすごかった。海外も含めて2000回もの舞台を踏んだ実力を見た気がした。
ワークショップは段ボールでお面を作ったのだが、大人はどんな仮面でもいいというと作りにくいので、「森は生きている」に出てくる12月(つき)の神様をテーマに作ることにした。ずいぶん楽しいお面ができ上がり、大きな布を体にまとって発表。壁一面の大きな鏡があったので、自分の変身ぶりをしっかり体験できた。ここでのテンションの盛り上がりが、短いお芝居を3本も作り、エントランスホールまでのパレードを生んだ。
一ヶ月ほど前の打ち合わせの時、エントランスホールのきれいさに驚き、ここを仮面を付けて、鳴り物を鳴らしながら歩いたりすると、ただそれだけで楽しいだろうなと思った。それが実際にできるかどうかは、ワークショップの場のテンションの盛り上がりにかかっていたのだが、仮面を作るだけで、場のテンションが勝手に盛り上がり、なんの苦労もなく、エントランスホールをパレードできた。下手するとひんしゅくを買って二度と使わせてもらえないんじゃないかと心配したが、反応はすごくよく、また使わせてもらえそうだ。うまく企画すれば減免でただで使えるかもしれない。
来年からは学校で芝居ができなくなるので、このアートフォーラムでやろうかなと考えている。社会起業家支援プログラムの申請書(どのような社会的問題を、どのような方法で解決しようとしているのか、といった結構手ごわい申請書だったが、苦労した分面白かった)にはそのワークショップの企画もきっかり入れておいた。うまくすれば700万円もの助成金がもらえる。
2009年10月26日
ビジネスプラン(事業計画)
25日、ぷかぷかの打ち合わせに授産施設の所長が参加した。途中、感想を聞いたところ、「こういうところは初めてで…」という言葉が妙に印象に残った。話の内容が、とても新鮮だったようだ。ぷかぷかの経営上の話を主にやっていたのだが、考えてみれば、福祉の場で最初にビジネスプランを立ててスタートする、というのはほとんどないのではないかと思った。
パン屋は設備などに対する初期投資が大きい。ぼろもうけは目指さないにしても、最低限みんなで食べていく、初期投資は回収する、ということがあったので、ビジネスプランはかなり真剣に立てた。その真剣さが伝わったのか、横浜市コミュニティビジネス課の空き店舗活用事業の審査にも通り、650万円もの助成金がもらえることになった。
福祉の場であってもやはりこういうビジネスプランは必要で、それがあれば、利用者さんの工賃ももう少し上がるのではないかと思う。ぷかぷかでは利用者さんに最低賃金を払う予定だが、そういったことが可能かどうかが数値の上で確認できるのはビジネスプランのありがたいところ。横浜市コミュニティビジネス課はそういうことに気がついていて、あちこちの作業所に呼びかけて「コミュ二ティビジネス」の勉強会を開いたりしている。よこはまCB smilesのホームページにそのスケジュールなどが載っています。
2009年11月 3日 (火)
ひいちゃん40歳
中山まつりで陶芸クラブぷかぷかの作品を販売。寒いのに参ったが、結構売れた。2時間弱で1万円ちょっとの売り上げ。もとくんがお客さんにいろいろ話しかけながらたくさん売ってくれた。
途中、ひいちゃんが挨拶にやってきた。ひいちゃんは昔(20年くらい前)瀬谷で養護学校の生徒たちと地域の人たちで演劇ワークショップをやってた頃の仲間だ。あの頃は同級生のちっくんと卒業して結婚したらハワイに新婚旅行に行こう、というのが夢だった。卒業したあとは、ほとんど会う機会もなかったのだが、7年ほど前、やはり中山まつりで陶芸作品を売っていたとき、偶然お店にやってきたのだった。ちっくんとは別の彼氏と一緒で「結婚しました」とうれしそうに彼氏を紹介してくれた。やや頼りなげな感じがしたが、それでも二人は幸せそうだった。親御さんがかなり二人をフォローしているときいた。2年後には子どもを抱っこしてお店にやってきた。ひいちゃんはしっかりお母さんをやっていた。
そして、今日、「私40歳になりました」とうれしそうに言った。そうか、そんなになるか、と時の流れを思った。「お母さん、40歳」と子どもが言った。子どもの学校とのおつきあいもこれから始まり、ひいちゃんはこれからが大変だろうと思う。それでもここまで子どもを育ててきたのだから、これからもいろんな人たちの手助けを受けながら、たくましくやっていくのだろう。おそらくひいちゃんを手助けしていく中で、回りも鍛えられたことだろうと思う。第2,第3のひいちゃんが出てくれば、いろいろ鍛えられる人も増える。ひいチャンたちはやっぱり世の中の宝だなと思う。
2009年12月 5日 (土)
ゴール設定
12月5日 神奈川産業振興センター主催の「はじめての人の店舗戦略」というセミナーに参加。飲食店、小売店支援を専門にする経営コンサルタントのセミナーで、なかなか刺激的で面白かった。講義のあと、セミナーの会場近くの伊勢佐木町商店街を見て歩くタウンウオッチングがあって、お客の視点からお店がどのように見えるかという体験で、普段何気なく通りすぎる商店街が、よく見てみると、それぞれのお店の経営者のセンスがそのまま出ていて、とても面白かった。
もつ鍋がウリの飲み屋の看板は、模造紙にクレヨンで描いたものをベニヤに貼り付けたもので、お金をかけた看板が多い中で、ダントツによかった。人の手のぬくもりが感じられるものは、やっぱりいいなと思う。「ぷかぷか」でもそれを大事にしたいとあらためて思う。
タウンウオッチングのあと、グループ実習があって、フレッシュベーカリーと喫茶店をテーマに、「業態、コンセプト」「市場動向」「ゴール設定」「詳細設定」「初期投資計画」などをグループごとに考えた。たまたまフレッシュベーカリーのグループだったので、ぷかぷかを素材にして話し合ったのだが、ゴール設定のところで、将来店舗を増やすといったような事業の将来像が問われた。僕自身は店舗を増やすなどはあまり考えてなかったのだが、グループで話をしているうちに、お店を増やすことはそのまま障がいのある人たちの働く場を増やすことであって、第2,第3のぷかぷかができるといいなという思いはあったので、そういうゴール設定もいいなと思った。それを自力でやるとすればどうなるかをシュミレーションしてみた。計算の上では、今の収支計算の倍くらいの売り上げが実現できれば、5年後にもう1店舗、10年後には3店舗増やせるのではないか、という話になった。あくまで話のレベルに過ぎないのだが、障がいのある人たちの働く場を増やす、というゴール設定はなかなかいいと思った。
2009年12月21日 (月)
パンを作る楽しさ
ぷかぷかの活動をビデオで記録しているフリーのジャーナリストからインタビューの依頼があり、一人で話すよりも誰かと話をした方が話の幅が広がるのではないか、と昔からの友人を話をした。いろんな話が出たのだが、その中でうれしかった話を一つ。
先月のパン教室で友人はある社会福祉法人がやっているレストランで働いている人を連れてきたのですが、自分でこねた生地が美味しいパンに焼き上がって感動したという話をしてくれました。二人はそこですごくがんばって働いているのですが、パンを自分でこねるような仕事はやらせてもらえず、いつも洗い物や、注文品をテーブルに出したりといった仕事で、いわゆるクリエイティブな仕事をやらせてもらえないそうです。そういった中でパンを自分でこね、成形し、美味しいパンが焼き上がったという経験は、彼らにとって私たちの想像を超えるような素晴らしいものをもたらしたのではないか、というわけです。
パン屋が始まればパン生地を手でこねるといったことはありません。手でこねたのでは間に合わないくらい大量の生地が必要だからです。でもパン教室ではパンを作るって楽しいなっていう体験をして欲しいので、あえて手でこねるところからはじめているのですが、それをしっかり受け止めてくれた人がいた、ということを聞いてすごくうれしい気がしました。
そして彼らが味わった楽しさを仕事の中でも持続させて欲しいなと思いました。
2010年1月19日 (火)
医者が応援
白内障を手術してくれた医者が、ぷかぷかのホームページを見て、ぜひ応援したいとぷかぷか協力債を10万円も購入してくれ、今日その入金通知が届いた。
年末に左目に白内障、右目に黄斑上膜という病気が見つかり、大学病院を紹介してもらって受診したのだが、ベッドが一杯で5,6ヶ月待たないと手術できないという。パン屋が始まると2週間も入院で休めないので、ネットで評判の眼科医のところへいった。とても親切な説明で、黄斑上膜の難しい手術も日帰りでできるという。何よりもこの先生なら安心して任せられるという雰囲気を持っていた。診察のあと名刺までくれて、何かわからないことがあったらメールくださいといわれた。こんなことははじめてだ。その夜早速メールを送ったのだが、すぐに丁寧な返事がきた。何回かメールをやり取りしている中で、4月からパン屋を始めるつもりで、目が見えにくくて困っていたことを書いてホームページのアドレスを貼り付けておいたら、早速見てくれて、素晴らしい計画なので何かお手伝いしたいと連絡があり、今日、振り込みの通知があった。
昨日白内障の手術を受けたのだが、その3日前に生徒と格闘した際、顔面にもろに頭突きをくらい、鼻の骨にひびが入った。手術の時、そのひびの入っているあたりを消毒したり、手術のカバーを貼り付けたりするので痛くて参った。胸も何かにぶつけたようで、骨に異常はなかったのだがひどい打撲で、息をするのも辛い。手術中、緊張してからだがこわばるので、胸がしくしく痛んだ。 今朝、診察の前に眼帯を外したら回りが信じられないくらいクリアーに見え、世界はこんなにもきれいだったかとなんかちょっと感動してしまった。
3日前に格闘した生徒には今まで何度も殴られたり蹴られたりしているのだが、殴られても蹴られてもなぜかその生徒がかわいくてしょうがない。朝、バスから下りてくるときにその生徒が笑顔でおりてくると、もうそれだけで幸せな気持ちになる。これで油断すると、午後あたりにバシーンと強烈なパンチが飛んできたりするのだが、それでも懲りずに、その子にいつも寄り添ってしまう。先日取材に来た新聞記者に「どうして彼らと一緒に生きていきたいのか」としつこくきかれたのだが、彼らと一緒にいるとそれだけで心が和むとか幸せな気持ちになるといった理由なんか言葉では説明できない。とにかく彼らと付き合ってもらうのが一番で、だから街の中にパン屋を出すのだ。
2010年2月 7日 (日)
国産小麦
あこ庵の社長から「国産小麦とカナダ産を比べると、味、価格においてはカナダ産の方がいい、ポストハーベストの問題は今はない、国産小麦にこだわっているお客さんは1割くらいしかいない、そのあたりを総合的に考えると、すべて国産小麦でやるのは、価格、味の面でかなり厳しくなるので、1,2割を国産にして、それ以外はカナダ産を使うのが無難ではないか」といわれました。とにかくこの世界で40年も美味しい小麦を探してきた人の言葉なので、かなりの重みがあります。社長の言うように、国産小麦のコーナーを設けるのがいいのか、すべて国産でやるのがいいのか、迷っています。 という内容のメールをパン屋をやっている知人に送ったところ、感動的な意見が返ってきた。
★ 外国産か国内産かという選択についてですが、 当店は開店から一貫して国産を使っております。 ポストハーベストの問題についてはさまざまな議論がありますが、 私は直接安全性を確認したわけではないので、 危険とも安全とも言えません。 私たちは一事業主として 誰かが(どこかの企業の経営者や有名人、もしくはテレビ等)問題ないと 言っているから大丈夫という判断はあまりに無責任だと考えるようにしています。 カナダ産1CWなどは本当に美味しくパンに適していると思います。 しかし収穫量のほとんどは南米経由で船便で輸出されています。 私たちが視察に訪れたのは3年前ですが、輸出前に燻蒸をしていました。 ここ3年で状況が変わったのであれば今後外国産の小麦も安心して 使えるようになるのではないでしょうか。
国産小麦がパンに適していないのに関わらず、国産小麦を使うパン屋があるのは どうしてでしょう?とくに神奈川・東京には件数が多いように思います。
コストが高いという意見は、間違いなくその通りです。 小麦の収穫量はアメリカ・カナダと比べると驚くほど少ないわけですから 当然ですね。 ではなぜ私たちの店では国産を使うのか?
私たちはパンを作り売ることがもちろん仕事ですが、 地域の景観、麦の穂がゆれる景色を守る責務があると 考え、秦野産・神奈川産の小麦、農作物を最優先して 使っています。
もちろんコストは高いですが、地域を四季の風情あふれる景観にし、 人の心を豊かにすることができれば、原材料代が高いぐらいのことは まったく問題になりません。 毎日パンを作ることで社会貢献ができて自らの収益も大いに上がるので あればこんなにいいことはないと思います。
逆に自らの店のコスト意識だけで原材料を選べば
もっとも身近な社会・地域とのつながりを放棄してしまうのでは
ないかと思います。
国産小麦のパンを求める1割ほどのお客様・・・
という意見についてですが、
国産小麦だからとパンを買ってほしい、天然酵母だから買ってほしい・・・
という意識でいれば1割ほどというのは正しいといえるでしょう。
当店のお客様の9割以上は美味しく、安全で毎日買える価格であると言って 買いに来てくれます。 外国産でも不味くて下手なパンならば残り9割のお客様も購入しなくなるでしょう。 国産小麦を使う理由はマーケティングに有利だからではなく、 自ら確かめた中で確実に安全で、美味しいパンを作れるからです。 自分や家族が安心して食べることのできるパンだから 不特定多数のお客様にも勧められるのです。
長々と駄文になってしまいました。 もう間もなくオープンですね。 障がい者だからではなく美味しいから選ばれるお店にしたいという抱負 を先月新聞で見ました。 国産小麦だから、天然酵母だからではなく、美味しいから選ばれるお店に なったら素晴らしいことだと思います。 さらに冬に芽を出し、春の訪れとともにぐんぐん成長し、初夏のころに立派に実る 小麦の景色がある地域はきっと豊かで優しい気持ちになり、暮らしやすいのではと 思います。 ★
お店をいかに成功させるか、ということばかりに気を取られ、地域社会のことは二の次になっていたところへ、こんな素晴らしい意見をいただき、目が覚めた思い。パンの材料購入の点から地域社会の中で生きる意味をもう一度考えたいと思った。
2010年2月11日 (木)
地域の協力
2月のパン教室ではオーブンメーカーのデモンストレーション用のガスオーブン(小型トラックに積んで、駐車場で焼く)を使ってみようと思い、地区センターの駐車場使用を申し込んだ。地区センターの駐車場はいつも混んだ入るので、近くの中山みどり園という施設の駐車場を借りる手続きを地区センターの緑区社会福祉協議会がやってくれ、OKが取れた。この施設は少し前にほかのルートから駐車場使用を打診して断られていたので、ほとんどあきらめていただけに、この決定はとてもうれしかった。
緑区社会福祉協議会は会議の会場を借りるだけのおつきあいなのだが、大和証券福祉財団の助成金をもらう際に推薦状を書いていただいたことがある。このときもおつきあいがないので、地区センターに「カフェベーカリーぷかぷか準備会」の活動の様子を聞いたようで、毎月とても熱心にパン教室をやっていると地区センターの所長が話してくれ、推薦状を書いてくれたという経緯がある。
今回も地区センターの入って入るいくつかの団体の合同会議で駐車場使用の件が検討されたらしく、地区センターの駐車場使用は無理、というところで断りの連絡をするのではなく、近くの施設の駐車場を緑区社会福祉協議会の課長が当たってくれたことがとてもうれしかった。それだけでなく、その施設は日曜日は休みなのだが、駐車場を使うためにわざわざ職員を一人休日出勤させるという対応までしてくれ、本当に感謝感謝、である。
ぷかぷかの活動が、地域のたくさんの人たちに支えられていることをあらためて実感した。
2010年2月11日 (木)
楽しいパンの提案
パンの学校に求人を出し、提出書類の中に「お店の絵に合うパンを提案してください」と言う課題を出した。今日、応募者の一人から書類が届き、その中に「星のパングラタン」と「森のくまさんパン」というのがあった。いずれも丁寧な絵が描かれ、うちの子どもは絵を見ただけで「食べてみたい!」といっていたくらい。食べてみたくなるようなパン、というのがとても大事だと思う。作り手のセンスが一番問われるところだ。今回若い女性の提案なので、遊び心もあり、お店のターゲットにしている子育て中の若いお母さんたちに十分伝わるセンスだと思った。
季節ごとにお店の絵を元にしたお話を作り、それにつながるパンや焼き菓子だけでなく、絵やパフォーマンスをみんなで楽しめたらと思っている。今回の楽しいパンの提案は、それに向けての第一歩のような気がしている。
絵は「創設当初のホームページ」をクリックしてください。
2010年3月21日 (日)
レストランを借りることに
メンバーさんが休憩したり、食事をとるスペースとして、お店のすぐ上にある3LDKの部屋を借りた。社宅として借りるので、当然社員は自由に使えるものと思っていたのだが、確かめて見ると、「住居」としての契約なので、その部屋に住民票を移した社員だけが使えるだけで、その他の社員がいろいろな目的で使うことはできないというきまじめな返事。
そんなこと聞きゃなきゃよかったのだ、という人もいたが、11人ものメンバーさんが毎日出入りすれば、それがうるさく感じる人も出てくるかも知れない。それで仕方なく、急遽部屋を探すことになり、不動産屋2軒に部屋探しを依頼した(これが12日)。
隣の喫茶店にも行き、どこか空き部屋はないだろうかと相談したところ、同じ商店街の「ミモザの丘」(こじゃれたレストラン)が21日に撤退する、という話を聞いた。なんとか居抜きで譲ってくれないだろうか、と、すぐにレストランへ行った。店長は自分では判断できないので社長に聞いてくれという返事(13日)。
次の日(14日)社長に会い、居抜きの話をしたところ、うちは構わないが、UR都市機構でそういったことがOKかどうか確認してくれとの返事。基本的にはスケルトン状態で返し、契約を終える。それが居抜きとなると前例がないだの、規則にないだのと断られる可能性が高い。お店をそのまますぐに使うのであれば、UR都市機構も空き店舗にならなくて助かるし、社長もスケルトンに戻すお金もかからない、資源の無駄使いもなくなる、ぷかぷかも得する、というわけで3者とも得するのでこれほどいい案はない、という思いでUR都市機構に電話で聞いて見る(15日の朝)。意外にも、すんなりOKの返事。午後にUR都市機構に出かけたら、賃借の申込書まで用意してあり、本当にびっくり。
18日にもう一度社長に会い、詳しい話をして居抜きの条件などを話しあう。3月末までの家賃負担、契約していた解体業者との解約金、残していく設備代など全部まとめて10万円ということで話がまとまった。厨房の業務用冷蔵庫、オーブン、調理台、お店のテーブル、椅子など、とにかくそのまますぐにお店が始められる状態の設備を10万円で譲ってもらうことになったのだ。ラッキー!としか言いようがない。
真ん中をパーティションで仕切って、半分はメンバーさんの多目的スペース、半分は軽食の取れるレストラン、にする予定。ぷかぷかで作るパンとシチュー、サラダ、コーヒーといった組み合わせの軽食メニューをいろいろ考えようと思う。ピザなんかもいいし、ぷかぷかで一番美味しい肉まんと美味しいお茶の組み合わせもいい。
3LDKの部屋だと家賃が出て行くばかりだが、このレストランだと多少とも収益が期待できる。家賃はほぼ同じなので、こっちの方が絶対、得!霧ケ丘には軽食が取れるところがないのよ、という話も地元の人から聞き、多いに期待できそう。なんだかすごくわくわくしてきた。
2010年4月27日 (火)
初日、売り上げ12万円!
4月26日、「カフェベーカリーぷかぷか」がついにオープン。厨房は3月中になんとかできたが、お店がなかなかでき上がらなくて、近所のひとも、通り掛かりのひともずいぶん心配していた。開店の前日になってもまだ終わりそうになく、こちらの準備も十分でなく、もう泣きそうな気分。
朝、看板がまだ完成してなくて、お店の前で比留間君〔お店をデザインした人〕が一生懸命絵を描いていた。開店2時間前くらいにようやくでき上がり、やっと入り口の上に取り付けた。(トップページ「オープンしました」をクリックすると写真が出てきます)
前日の夜、注文したプライスカードが届いてないことに気がつき、朝になって慌てて画用紙を探すが、文具店はまだ開いていない。コンビニに行っても画用紙なんてなく、どうしようどうしよう、と焦るが、A4の茶封筒が目に入り、それを購入。はさみでプライスカードの大きさに切り、ピンで留めると、いかにも手作りの、とてもいい雰囲気のカードになり、ちょっとほっとした。
12時、オープニングパーティ開始。メンバーさんのあいさつの後、25年ほど前からいっしょにワークショップをやり続けてきた(養護学校の生徒たちといい出会いをすることができたのはこのワークショップが大きい)黒テントの仲間が3人かけつけてくれて宮澤賢治の「やまなし」を朗読してくれた。よく晴れた青空の元、朗読の声が良く響き、久しぶりにわくわくした気分を味わった。その後、デフパペットシアターひとみの二人が人形劇を、風の器の庄崎さんが素晴らしいパフォーマンスをやってくれた。30人ほどのお客さんが階段に座って楽しんでくれた。お金にならないこういうイベントこそ、ぷかぷかは大事にしたいと思った。
1時、パンの販売開始。お店にお客さんが入りきれなくて、店内は大渋滞。2時間ほどで食パン以外はほとんど売り切れ。食パンは前日から焼きためていたものだが、それも5時ごろにはほとんどなくなる。集計したらなんと12万円を超える売り上げがあった。ご祝儀のお客さんばかりではなく、プレオープンで買った食パンがおいしかったから、とかカンパーニュが最高においしかったから来た、というお客さんが何人もいて、この先かなり期待できそう。
2010年5月14日 (金)
犬を預かるパン屋
10日。給料日。メンバーさんには最低賃金を払うので、休まずにきた人は57,179円もの給料が手に入った。作業所などで数千円の給料でやってきた人にとっては、びっくりするほどの給料だ。もちろん営業が始まってまだ2週間ほどしかたってないので、そんなに稼げるはずもなく、実際のところは借金をしての給料支払いだ。それでも彼らの本当にうれしそうな顔を見ると、最低賃金払ってよかったなと思う。
「給料もらって何買ったの?」と聞くとたいていは「貯金した」と答える。「貯金してどうするの」と聞いても、それから先ははっきりしない。貯金はあった方がいい。でも、貯金があるだけでは、人生はそれほど楽しくはならない。人生を楽しくするには、やはりそれなりにお金は使った方がいい。お金を使う道がはっきりすれば、仕事にも励みがでる。
で、「稼いだお金で旅行に行ったら?」と提案してみた。「沖縄に行きたい」という人がいたので、「だったら夏休みにみんなで誘いあって出かけてみたら」「ああ、いいかもね」と顔が輝く。決して夢物語ではなく、十分実現できる計画だ。一つの目標に向けてみんなが動き出せばいいなと思う。
問題は「社長」の私には給料がまだ出せないという情けない状況。「いいよ、みんなでお金出し合ってつれてってあげるから」とやさしいことを言ってくれる人もいて、そういうことが本当に実現できたらうれしいなと思った。
いっちゃんがお店の前に立って、お客の呼び込みをしてると、なぜか小学生が集まってくる。今日も6,7人に囲まれ、なんだか楽しそうに話をしている。小学生が集まっても商売にはならないのだが、それでもお店の前に人が集まっているのはにぎやかでいい。小学生たちは、彼の何に魅かれているのだろう。私がお店の前に立っていても絶対にこんなことは起きない。
いっちゃんは時々お客さんの犬を預かって、あちこち行きたがる犬のヒモをひっぱって、あつかいに苦労している。「あの~、すみません、すこしおとなしくしてください」って犬に向かって頼んでいる感じ。こういう風景は本当に楽しい。お店の前で犬を預かってくれるパン屋なんて、そうないんじゃないかと思う。彼に犬を任せる、という、ちょっとした信頼がいいなと思う。
ゆうくんは何がきっかけだったのか、お向かいの鯛焼き屋のおじさんと仲よくなって、しょっちゅう話をしに行っている。今日も仕事が終わってから、ずいぶん話し込んでいた。こういう関係がこの街の中で少しずつ広がっていくといいなと思う。
2010年8月13日 (金)
ゆっくりでいいよ
区役所の外販。パンの代金の計算を今日はよっちゃんにやってもらう。計算機はそこそこ使えるのだが、時々間違えると焦ってしまって、「あ~、まちがえた!」と焦りが前面に出て、収拾がつかなくなる。たとえば計算の途中で180円のパンが2個あると、そのまま×2と押してしまい、そうするとそれまでのトータルがそのまま2倍になり、ずいぶん高い数値になったりする。あるいは910円の代金に対し、1万円札と10円玉を出す人がいると、10010円と桁を間違えずに入れるのが結構難しく、おつりの計算がめちゃくちゃになり、パニック状態になってしまう。そういうことが素直に表に出てしまうのだが、お客さんも心得たもので、「ゆっくりでいいよ、あせらないで」と声をかけてくれたりする。10人くらいお客さんが並んでたりするので、こっちの方が焦ってしまうのだが、こういうときは本当にお客さんに助けられる。パンの袋詰めももたもたしていると、「いいよいいよ、自分で詰めるから」と自分でやってくれたりする。
普通のパン屋では多分こういうことはない。「ぷかぷか」ではいくらがんばっても、しょっちゅうこういうことがおきる。世の中のスムーズな流れが、突然もたもたしたものになってしまう。でも、もたもたするからこその発見や出会いもある。その日のお客さんは、そのもたもたの中でよっちゃんに出会い、「ゆっくりでいいよ」と声までかけてくれた。こういう関係が街の中で広がること、それが「ぷかぷか」を街の中に作った理由だ。
とはいうものの、もたもたしていると、やはり効率が落ち、売り上げが伸びない。売り上げが伸びないと、彼らの給料の支払いがきつくなる。「ぷかぷか」では最低賃金を払っているので、ここが苦しいところだ。彼らの持つ「いい雰囲気」なり「キャラ」にどれだけお金を払っていけるか、大きな勝負どころだ。「ゆっくりでいいよ」ってお客さんのやさしい気持ちをひき出した彼らの「いい雰囲気」にどこまでお金を払い続けていけるのか。
「ぷかぷか」は売り上げに対する人件費の割合が多すぎることを税理士事務所をはじめ、あちこちから指摘されている。人件費はなかなか削れないので、売り上げを伸ばす方法をいろいろ考えているのだが、それと平行して、「最低賃金分の働き」はどのように判断するのか、といった問題もある。
たとえば区役所の外販で計算機をたたいてくれたよっちゃんは、確かに完璧に仕事をこなしたわけではない。普通の企業なら、最賃レベルではない、と判断されるだろう。でも、よっちゃんはあの時、あの外販の場でとてもいい雰囲気を作ってくれたと思う。あれはよっちゃんでなければできなかったことだ。そのかけがえのない働きを最低賃金として認めるのかどうかということ。
ぷかぷかは、そういう力に対して最低賃金を支払い、今、経営が傾いている。どこまで踏ん張れるか、ほんまに勝負どころだと思う。
2010年8月15日 (日)
ココロがホッコリするパン屋
カラーの素晴らしいチラシをデザインしてくれた人が作ったコピー「ココロがホッコリするパン屋」がとても気に入っている。「ぷかぷか」が目指すものを実にうまく表現している。
おいしいパンを売るのは当然だが、それだけではあまりに当然すぎて面白くない。「ぷかぷか」ではハンディのある人たちが働いているのであり、その彼らのいわば「味」を「おいしいパン」に加えることで、ほかの店との違いを出せないだろうか。何となく気持ちがなごむとか、ほっとする雰囲気とか、表現する言葉はいろいろあったが、いまいち決まらない。そんなところへ「ココロがホッコリするパン屋」というコピーが飛び込んできて、なんかピター!と決まった気がした。
昨日の最低賃金の話に戻るが、養護学校の卒業生で一般就労できるのはごく一部のきわめて優秀な人たちだ。優秀というのは、普通の人と変わらないくらいよく働くという意味で、それくらい働かないと最低賃金はもらえない、ということになる。これはかなりハードルが高い。大変な努力をして、そういったレベルまで伸びる人もいることはいる。しかしもともと持っている力、というものがあって、どうがんばっても伸びない人は伸びない。
ではどうすればいいのだろう。
普通の人たちとできるできないというところで競ったのでは、始めから負けは目に見えている。ならば普通の人ができないところで勝負をかけてはどうだろうか。たとえば昨日書いたが、全く知らない人に「ゆっくりでいいよ、あせらないで」といわせてしまうのは、やはりひとつの力といっていい。そういう言葉を人にかけるとき、人は心があたたかくなってとてもいい気持ちになれる。これは素晴らしいことではないかと思う。そういう力を商売の場で生かせないか、それがいってみれば「ぷかぷか」のやろうとしていることだ。「ココロがホッコリするパン屋」は、そういう思いをひとことで表現してくれた。
おいしいパンがあって、パンを買いに来ると、なんとなくココロがホッコリする。「カフェベーカリーぷかぷか」はそんなパン屋になりたい。
2010年8月28日 (土)
シムラ君のこと
ワーカーズコレクティブのリーダー研修会で、障がいのある人たちの雇用に関して話をして欲しいという依頼があった。ワーカーズの人たちが障がいのある人たちを雇用したいのだが、障がいのある人たちのことがよくわからないので、なかなか前へ進まないらしい。ならば、ぷかぷかの話よりも、ワーカーズのお店に昔シムラ君を入れたときのことを話した方がいいと思い、その時の関係者に連絡した。当時の店長さんに連絡が取れ、久しぶりにお話した。
20数年前、ワーカーズの店の前の駐車場で「青空市」が開かれていて、そこで養護学校の生徒たち、地域の人たちで手打ちうどんのお店を開いていた。当時、養護学校の生徒たちととにかく街に中に出よう、街の人たちとさまざまな出会いの場、おつきあいの場を作ろう、ということで、ワークショップをやったり、手打ちうどんのお店をやったりしていた。ワーカーズのお店の人たちとも、うどんの材料買いに行ったり、用もないのにお店の中をうろうろしたりして、だんだん親しくなった。
そんな関係の中で、仲間のシムラ君がお店で働けないか相談してみた。シムラ君は養護学校高等部の3年生で、働く場を探す必要があった。学校の進路担当者はシムラ君は一般就労は難しいといっていたが、私としてはワーカーズのお店とおつきあいができたので、ひょっとしたらうまくいくのではないかと思っていた。
店長に話を持っていき、検討してみるということで、とりあえず実習をやった。仕事の上での力はともかく、シムラ君がお店にいることで、なんだかほっとした雰囲気が生まれた。それ自体はよかったのだが、それだけでは雇用に結びつかない。
一番の問題はやはり給料のこと。障がいのある人を雇用するにあたって、今のようにさまざまな形で助成金が下りるような制度もない中で、どうやってシムラ君の給料を払うのか。従業員の給料は売り上げから払うので、シムラ君が入れば、当然みんなの給料が減る。シムラ君がみんなと同じように働ければいいが、それができないところで、なおも雇用していこうというのだから、店長以外は全員が反対だったという。
シムラ君がいればお店の雰囲気がなごんだり、なんとなく楽しくなったりするのだが、そういったことにどこまで給料を払っていけるか、ということだ。経営的にゆとりがあれば、それも可能だろうが、かつかつでやっているところであれば、かなり難しいことだと思う。シムラ君の雇用に店長以外全員が反対したというのはごく自然なことだったと思う。
結局、店長がすべて責任をとるという形で雇用することにしたのだが、結果として、その後シムラ君の雇用が問題になることもなく、毎日元気に楽しく働き続け、それがもう20数年続いて、現在に至っている。普通の人並みではないにせよ、元気に楽しく働き続けてきたこと、そして何よりもシムラ君の人としての魅力をお店の人たちがしっかり受け止めてくれたおかげだろうと思う。
シムラ君はワークショップ(養護学校の生徒と地域の人たちがいっしょに芝居作りをやっていた)をずっといっしょにやってきた仲間だ。シムラ君はダンスが得意で、演技力もあり、芝居作りの場では、ダントツの存在感を持っていた。彼がいないと困る、という存在だった。
ところがお店では、給料を払う関係になり、存在感だけでは、「彼がいないと困る」というふうにはならない。でも、シムラ君が20数年働き続けてこれたのは、やはり一般的な尺度でいう「仕事の能力」だけでなく、「彼がいないと困る」「彼がいた方がいい」と思わせるシムラ君の存在感があったのではないか思う。シムラ君との毎日のおつきあいが、少しづつ人を変えていったのだと思う。
2010年8月31日 (火)
ぷかぷかしんぶん発行
ぷかぷかしんぶん第1号を発行した。地域のお客さんを呼び込むための月初めセールのお知らせが目的ではあったのだが、新しいパンの紹介で「けらけらパン」という、けらけら笑ったようなパンがあって、ただこういうパンを今度販売します、では面白くないので、けらけらパンを使ったお話を募集することにした。
「野原の真ん中で、けらけらパンのけらけらさんが、けらけらと笑っていました。さてどうして笑っていたのでしょう。親子で考えてください。」というもの。解答例として、「いじわるなヘビさんがバナナの皮に滑って転んだから」というのを出したが、要は何でもいい、親子でけらけらさんを思い浮かべながら、楽しいお話を考えて、楽しい時間を過ごして欲しいなと思っただけだ。お話を考えた親子にはもちろんけらけらパンを進呈する。
こういうお話作りはワークショップでずっとやってきたもので、すごく楽しい。こどもや養護学校の生徒たちといっしょにやると、思ってもみないアイデアが出てきて、本当に面白い。そういったことがパン屋でできるなんて、ちょっと面白いじゃないかと思う。面白い話が出てきたら、それを更に膨らませて、お客さんたちをいっしょに芝居までやっちゃおうかと考えている。
2010年9月19日 (日)
ツジ君のこと
パンの外販の時、会計の手伝いをやってくれているのがツジ君。彼は「自閉症」で、人とかかわりを作ったり、場の雰囲気を感じ取ることが苦手。でも、計算は得意で、パンを5,6個買ったお客さんが来ても、暗算で計算してしまう。2個なら私たちにも暗算できるが、3個を超えるとかなり難しい。それを10個くらいあってもいとも簡単に暗算で計算してしまう。
しかも私が計算機で計算するより早くて正確。時々「あの~、それまちがってる」と計算機が間違っていることを指摘してくれたりする。注文票を集計したときは3桁の計算だったが、10人分を正確に集計してくれ、本当にびっくりした。3桁の暗算なんて私には全く不可能だ。メモリー機能が素晴らしく発達しているのだと思う。スケジュールなども1カ月分がしっかり頭に入っていて、私は何度も彼に助けられた。
ツジ君とはおつきあいする上でいろいろ大変なこと、疲れることはある。もういらいらしてしまって、ちょっとあっちへ行ってくれ、と叫びたくなるときもある。それでもダントツの存在感は、いなきゃいないで寂しくもあり、なによりも、まわりを全く考慮しない、こだわりのひと言が、一瞬にして場をなごませることもある。戦いのような毎日だが、彼のような存在はやっぱり世の中に必要だな、と思う。
準備中の「ぷかぷかカフェ」の手書きのメニューに「日本のメニュー」とあって、何のことかと思ったら「本日のメニュー」の間違い。もう笑ってしまった。こういう思ってもみない間違いをやってくれる彼らは本当に楽しい。
2010年10月25日 (月)
みんなで肉まん
10月23日 久しぶりのパン教室。子ども連れでやって来るお客さんに呼びかけて開いたのだが、大人子ども合わせて20人くらいが参加。ほとんどの人はパン作りはじめてだったせいか、とても新鮮な楽しさがあったようで、大人も子どもも本当に楽しんだようだった。作ったのは、動物パン、プチカンパーニュ、肉まん、それにシチュー。
材料をはかり、粉をこねるところからやったので、時間が足りなくて、発酵不足のやや硬いパンになったが、そんなのお構いなく、100個ぐらいあったパンがあっという間におなかに入った。いちばん小さい子は2歳くらいだったが、途中で眠そうな顔をしながらも食べるときはしゃきっと目を覚ましてしっかり食べていた。
またやりたい!という声がたくさんあったので、11月3日に中山祭りで肉まんとカレーパンを作る予定で、その肉まん作りを今日の参加者でやりますか?って聞いたら、やりたい!という返事が大多数で、すぐに中山の地区センター調理室を予約。肉まん100個の予定だが、今日もいろんなパンを100個作ったのでちょっと物足りないかな、と思ったりした。
突然の強力なサポーターの出現に、パン教室の持つ「力」をあらためて思った。これからが楽しみ。
2010年11月13日 (土)
電話でお祈り
ぷかぷかで厨房の洗いものを担当しているトオル君は幼稚園の頃から教会に通っています。その教会の機関誌にこんなことが書いてありました。
9月のとある日、トオル君から電話がありました。従姉妹が入院したというのです。そして最後に唐突なリクエスト。「お祈りしてください」というのです。びっくりして「今、この電話で?」ときく私。「ハイー」とトオル君はいつもの調子で、しかもためらうことなく応えたのです。そして初体験となる「電話祈祷」と相成ったわけです。
電話でお祈りをしてもらう、なんて私たちはまず思いつきません。そのあたりがトオル君の発想の自由さ、素晴らしさだと思います。それと何よりも従姉妹のために牧師さんに電話し、そのまま電話でのお祈りをお願いするというところがトオル君の限りなくやさしいところです。
教会の機関誌を読みながらちょっと涙が出ました。
2010年12月 2日 (木)
支援
神奈川県主催のサービス管理責任者の研修を受けた。「カフェベーカリーぷかぷか」は自立支援法の中の就労継続支援A型の福祉サービスを行なう事業所として認定を受けている。その福祉サービスを行なう管理者の研修だったのだが、仕事量が膨大にあって、これをすべてこなしていると、パン屋の仕事はほとんどできない感じ。
一日話を聞いてて思ったのは、福祉サービスに関わる人間は彼らに対して「支援」する立場にあると言うこと。ぷかぷかの現場では、いろいろ教えたりはするが、それは「支援」するとはかなり違う。毎日の仕事に追われ、とにかくいっしょに働いている。いっしょに働かないと「日銭」が稼げない。パン屋はとにかく日銭を稼ぐことで成り立っている。「支援」などという、ちょっと距離を置いたような立場では日銭は稼げない。いっしょに働いて日銭を稼げないと、最低賃金の給料が払えないというきわめて深刻な事態にぶちあたる。
そういう緊張感ある毎日の中で、メンバーさんは日々変わりつつある。 ぷかぷかに来るまでは作業所でのんびりと仕事をやっていた人がいる。その頃に比べれば、今は10倍くらい仕事をやっている。慣れるまでは本当に大変だったと思う。でもその緊張感あふれる毎日の仕事の中で、クッキーやラスクの製造を完全に任せられるくらいになった。同じメンバーさんだが、何人かの「部下」もいる。毎日注文量を確認し、部下たちに指示を出しながら仕事をやっている。
これは研修でうるさく言われた「個別支援計画」をしっかり立て、それを実践した結果ではない。「個別支援計画」は一応立てたが、中身はほとんど忘れていた。にもかかわらず、そのメンバーさんはびっくりするくらい成長した。緊張感あふれる仕事が彼女を変えたんだと思う。ひとが変わる、成長する、というのはそういうことではないのか。何かの「計画」で変わるほど、人は薄っぺらではない気がする。
2010年12月23日 (木)
支援 その2
サービス管理責任者の研修を受けた。グループ作業の中で、うちの事業所で面倒見ているひとで最高齢は67歳ですよ、うちは75歳ですよ、という話があった。当然のことながらその人たちの『個別支援計画』を立てることになる。
内容的には「元気に過ごす」といったことらしいが、自分が当事者でそのくらいの年になったら「そんなのもういいよ」と思う。「好きにさせてよ」と思う。「ほっといてほしい」と思う。 ところが福祉サービスを行なう事業所はほっとかない。どこまでも「個別支援計画」を立て、それを立てることで行政から報酬をもらう。「個別支援計画」を作る目的は結局のところ、そこに行き着く。
福祉事業所が報酬を得るためにはやむを得ないものであるにせよ、当事者にとってはうっとうしいものだとあらためて思う。「障がい」があると、死ぬまで「支援」の対象なんだろうか。
2011年1月 1日 (土)
なんとか1年持ちました。
4月のオープン以来、実にいろんなことがあったが、それでもなんとかこけもせず、1年持ちこたえた。
いろんなことがありすぎて、この1年は本当に10年分をいっぺんに生きた感じ。スタッフのこと、お金のこと、経営のこと、福祉サービスのこと、お客さんのこと、財務処理のこと等、全てがはじめてのことで、もうどうしていいのかわからず、おろおろする毎日だったが、それでもたくさんのひとに支えられ、なんとか乗り越えることができた。
毎日がすさまじい勉強だった。倒れなかったのが不思議なくらいほんとうに苦しい日々だったが、こんなにも多くのことを学んだことは大きな収穫だったと思う。
問題の多かった常勤スタッフが全て入れ替わり、12月に入ってようやくおだやかな気持ちで過ごせるようになった。
もちろんいろんな問題はまだ次々に起こっている。それでもなんとかなるだろうと思うゆとりはできた。それだけ鍛えられた、ということだろう。
顔見知りのお客さんも増えた。「ぷかぷかしんぶん」にははっきりとしたうれしい手応えがある。この調子で行けば、まぁ、なんとかなるだろう。
この1年が楽しみだ。
2011年2月17日 (木)
東電の電柱と福祉事業所
ある養護学校で、月一回販売している福祉事業者の説明会があった。その説明でびっくりするような話があった。
養護学校は県の施設であり、そこで販売することは、それなりの使用料が必要となる。たとえば東電の電柱が敷地に立っている場合は、その敷地の使用料をいただいている。構内での販売も敷地を使っているということでは同じだ。福祉事業者の学校内での販売は、場所代をもらわない代わり、職員の福利厚生ということで市販価格より安い価格でお願いしたい。
「ぷかぷか」が養護学校で販売するのは、お店の売り上げだけではやっていけないからだ。区役所、養護学校などで外販をやって、やっとこさ給料を払っている。外販がなければ一ヶ月も持たない。
ぷかぷかを応援してくれている経営者には、キャッシュフローが少なすぎて、3月には支払いができなくなるだろう、といわれている。とりあえずは廻っていても、ぎりぎりの運営だというわけだ。
パートさんは時給850円で働いてもらっている。一番の働き手であり、朝4時から厨房に入っているパン職人歴40年のベテランの給料は20万円。申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、それしか今のぷかぷかには払えない。私の給料は10万円。時給にすると400円ちょっと。ここまでやってやっと利用者さんに最低賃金818円を払っている。
学校の担当者にちょっとおかしいんじゃないかと言ったが、これは県が決めていることであり、自分たちにはどうしようもないという。どうしようもないといいながら、なんとかしようという気もないようだった。
電柱の使用料のたとえが県から出たものなのか学校から出たものかわからないが、福祉事業者の活動と東電の電柱が同じに見えるなんて、全くあきれてしまった。
場所代をもらわない代わり、職員の福利厚生ということで市販価格より安い価格でお願いしたい、だと? 県という大きな組織が、かつかつでやっている小さな福祉事業者に向かって言うことか?恥ずかしいと思わないのか?
2011年2月21日 (月)
とにかく動いてみる
養護学校の保護者が3名見学にやってきた。ひととおり説明したあと、こんな話をした。
あちこち見学することはいい勉強になりますが、いちばんいいのはやはり自分の理想とする場所を作るために、とにかく動いて見ることだと思います。新しい場を作るなんてできません、と始めから思ってしまうと、何も始まりません。でも、ちょっとでもいい、自分の思う方向に動いて見れば、いろんな人と出会えるし、その出会いは、自分の大きな財産になります。その財産を元に更に前に進むことができます。動かなければそんな財産は増えないし、何も始まりません。
「カフェベーカリーぷかぷか」も3年前にパン教室をはじめてから、いろんなことが動き始めました。思いだけ、話だけでは前に進まなかったと思います。いろんな失敗もありました。でも、それも含めて、とにかく前へ進むことができたと思います。
今、月一回、パン教室をやっていますが、これをしんどいから、疲れるから、といってやらなければ、新しい関係は何もできなかったと思います。もちろん、パン教室をやったからって、お店の売り上げがすぐに伸びるわけではありません。でもお店にの熱烈なファンはパン教室をやることで確実に増えています。
とにかく動いて見る、というのはそういうことです。
2011年4月29日 (金)
1年経ちました
昨年4月末にオープンして1年が経った。いろんな問題が次から次に起こり、一時はもうダメかと思うくらい、本当に大変な1年だった。パン屋を経営することも、福祉事業所を運営することも、何もかも初めてで、正直、こんなにきつい一年は今までなかった。一年経って、ようやくいろんなことがわかってきて、気持ちも少しおだやかになれたように思う。
経営的にはまだまだ厳しいが、活気ある厨房の中にいると、まぁなんとかやっていけるだろうと思う。外販先、配達先が増え、毎日本当にいそがしい。いそがしいのは「仕事がある」と言うことで、これは本当にありがたいことだ。いそがしさは「ぷかぷかのパン」に対する評価そのものだろう。
外販先のひとつ、瀬谷区役所は売り上げが三倍に伸びた。はじめた当初は7,000円くらいだったのが、最近は20,000円を超えるようになった。これだけ売り上げが伸びたのは、パンがおいしいこともあるが、やはりメンバーさんの働きが大きい。パンを買いに来たついでのメンバーさんとのちょっとしたやり取りを楽しみにしているお客さんが多い。 世の中にこんなに楽しい人がいた、こんなに素敵な人がいた、そんな発見、出会いをみんな楽しんでいる。この雰囲気が素晴らしくいい。
ぷかぷかを街の中に立ち上げたのは、街の人たちに彼らに出会ってほしいと思ったからだが、そんな思いが少しずつ実現しつつあるように思う。
定年後は、もう少しのんびりした生活があると思っていたのだが、教員時代の何倍も今いそがしい。時々投げ出したくなるほど疲れることもあるが、それでも、日々のこの緊張感は教員時代には味わえなかったものだ。お金を儲けることがいかに大変か、60歳を越えてようやくわかった気がした。
2011年5月 3日 (火)
給与
ぷかぷかでは障がいのある人たちに最低賃金を払っている。彼らの働きだけでそれを払うのはかなり難しいが、「就労継続支援A型」という自立支援法の中の福祉サービスを行なう事業所の認定を受け、訓練給付費という報酬が入るので、まぁ、なんとかなるだろう、と甘く踏んでいたのだが、実際に運営して見ると、とてもそれだけでは賄えないことがわかった。
障がいのあるメンバーさんが11名、スタッフが11名で、その人件費はパンの売り上げより多い。その不足分を訓練給付費で補う形で運営しているのだが、家賃、光熱費など固定費を支払うと、月末の預金残高が30万円を切ることもたびたびある。月末は家賃、社会保険、日本政策金融公庫への支払いが続くため、いつもはらはらしている。
そんな中での給与の支払いであり、障がいのある人たちが毎月受け取っている給与は、「ぷかぷか」のスタッフの、日々の「悪戦苦闘」の結果といっていい。ちなみに経営者でもある私の報酬は、働いている時間で割ると、時間給は障がいのある人たちの半分にも満たない。それくらいに報酬を抑えないと彼らに最低賃金が払えないと言うわけだ。
たまたまだが、昨日通帳のお金が合わなくて、色々チェックしていたら、あるメンバーさんの給与の振込額を間違えていたことに気がついた。早速保護者の方に連絡をとり、通帳に振り込まれた額を確認してくれるようにお願いしたのだが、驚いたことにその保護者は通帳を全く見てないと言う。メンバーさん自身はお金の管理が自分ではうまくできない。つまり、いくらもらっているかの確認が自分でできない。
なんだか頭がくらくらした。これだけ苦労して月々給与を支払っているのに、それを受け取る側が給与の額すら知らない、確認もしていない、というのだ。なんか、もう、がっかりと言うか、やる気が失せた、という感じだ。なんのためにこんなに働いて彼らに最低賃金を支払っているのか。
その家にとってはメンバーさんが稼いでくる給与はたいした額ではないのかも知れない。だからいくら振り込まれたか確認の必要もないのだろう。しかし、振り込む側は大変な苦労をしてその給与を振り込んでいる。そういう思いが全く伝わってないことにがく然とした。
本人がしっかり給与分を稼いでいるならなんの問題もない。でも、実際はそんなに稼げない。稼げない分を「ぷかぷか」は苦労して補填している。
どうしてそこまでやるのか。それはきちんとそれなりの給料を支払うことで、働く喜びをメンバーさんに知ってほしいからだ。人間にとって、働く喜びを得る、ということはとても大事なことだ。そのために「ぷかぷか」のスタッフは安い給料でなんとか頑張っているのだが、そこの思いを保護者と共有できてないとしたら、「ぷかぷか」のような小さな事業所ではとてもまずいことだと思う。
給料はもらった本人が好きなように使えばいい。でも、その給料がどこでどんなふうに生み出されているか、ぐらいは知っておいてほしいし、それを知った上で、大事に大事に使ってほしいと思う。
2011年5月21日 (土)
ハイキング
メンバーさんとハイキングに出かけた。メンバーさん4人、職員2人、職員の子供一人の計7人。秦野駅近くの弘法山は駅から1時間ほどで行ける他愛ないコースだが、それでもぷかぷかにとっては初めての余暇活動であり、メンバーさんのはしゃぎぶりは、仕事の中では絶対に見ることのできないものだった。
ぷかぷかも1年が過ぎ、余暇活動を行えるほどのゆとりができたということだろう。久しぶりの山道が、本当に楽しかった。
2時間ほどで登り道と反対側に降り立ち、近くの鶴巻温泉へ。大きな風呂で手足を伸ばし、ゆったりとくつろぐ。昨年はとてもこんな気持ちにはなれなかった。
決して経営がうまくいっているわけではないが、それでもこのゆったりした気持ちになれたことがうれしかった。
2011年5月22日 (日)
AからBへ仕切り直し
障がいのあるメンバーさんに最低賃金を払うのはとても厳しい、とあらためて思う。
5月の給料日、預金残高が不足して、給料が払いきれない事態が予想され、やむなく個人的に資金投入した。収入がほとんどない中での資金投入は本当に厳しく、無理して最低賃金を払うのはもうやめよう、このときはっきり思った。
たまたま近くの空き店舗が見つかったこともあって、定員を20名に増やして就労継続支援B型を目指すことにした。県の方へ相談に行ったところ、体制的には問題ないので、申請書をあらためて出せばいいということだった。A型よりも加算が多いので、経営も楽になるだろう、ということだった。
この1年、お金の面で本当に厳しかった。減価償却分が大きいとはいえ、赤字が950万円もあった。お金のことで悩んでいるとメンバーさんともいい関係が作れないし、何よりも楽しくない。
とにかく仕切り直しだ。近くで見つけた空き店舗にラスク、クッキー工房、給食スペースを移すことができれば、ぷかぷかカフェの鬱陶しい壁も取っ払って、カフェ専用にしよう。
いろんな構想が一気に動き出した感じだ。
2011年5月29日 (日)
元気が出ます
今週の瀬谷区役所の外販の売り上げはなんと33,000円もあった。1年前、6~7,000円だった売り上げが5倍も増えたことになる。
たまたま今週は河原さんがビデオの記録撮影をやったのだが、その時何人かのお客さんにインタビューした。外販のある木曜日をとても楽しみにしている、パンがとてもおいしい、といった感想と並んで、彼らと会うと元気が出ます、というのがあった。
すごく嬉しい感想だ。ぷかぷかの外販が、お客さんを元気にしている。スタッフだけで販売に行っていたら、こういう感想は出てこない。やはりメンバーさんあってのぷかぷかの外販なのだと思う。ということは、今やぷかぷかを中心になって支えているのはメンバーさんなのだ、ということになる。 もっともっとあちこちに外販に出かけて、あちこちを元気にしたいと思う。
ぷかぷかのお店の工事をやってくれた小林さんと新しい店舗を見る。エアコンの取り付け、調理台、食事テーブル、作業台、食器棚等の搬入など、やることは山ほどある。とりあえず必要なものをリストアップし、小林さんが中古品を探すことになった。
カフェのパネルの取り外しも6月20日過ぎには行なうことになった。パネルの処分にもお金がかかる。
新しい店舗の入居手続に約140万円、エアコン、調理台、食事テーブルの準備に100万円くらいか。その他もろもろで250万円くらいはかかりそう。頭の痛い話だが、これをやらないと前へ進まない。
2011年7月18日 (月)
しっかり仕事やってますね
「ぷかぷか」を見学にきた方が「あちこち見学にいきましたが、ここほど仕事をしているところはありませんでした。ここは本当にしっかり仕事をやってるんですね」と言っていた。「見学に行った事業所はたいてい組み立てなどの軽作業をやっていて、何をやっているのかよくわからないところが多いですね。ぷかぷかは何をやっているかひと目でわかるし、利用者さんも自分のやってることがわかるので生き生きとして仕事をやっていますね」
よく見てる人だなと思った。子どもにしっかり仕事をさせたい、という思いが、見る目を鍛えたんだと思う。「ぷかぷか」のやろうとしていることを一目で見抜いたのはすごいと思った。
最初から特に意識してやってきたわけではなく、彼らと一緒に仕事がしたい、と思いながらやっていたら自然にこうなった、と言った方がいい。彼らがどこまで仕事ができるか不安がない訳ではなかったが、その不安を吹き飛ばすくらい、今、みんなよく仕事をやっている。もちろん最初はいろいろ大変だった。それでも半年経ち、1年経つと、彼らは確実に仕事を覚え、彼ら抜きで「ぷかぷか」は成り立たないくらいになっている。彼らと一緒に仕事をする、一緒に生きていく、ということの意味が「ぷかぷか」では目に見える形になっている。
知的障がいのある人たちには簡単な仕事しかできない、という思い込みがある。企業の下請けの簡単な軽作業をやっている事業所が多いのは、おそらくそのせいだろう。電気部品、自動車部品などの組み立て、段ボール箱の組み立て、教材セット作り、割り箸の袋入れ、ペットボトルのキャップの仕分けなど、終わりの見えない作業が延々と続く。短期間ならともかく、何年もやることを考えると、なかなか辛いものがある、と私なんかは思う。「やりがい」はもちろん、「楽しい」とか「面白い」といった気持ちもなかなか持てないのではないかと思う。工賃もなかなか上がらない。
もちろん世の中にはそういう仕事は必ずあり、誰かがこなさないと、世の中は成り立たない。そういう意味では、そういう下請けの仕事を引き受けている彼らは世の中をしっかりと下支えしていて、敬意を表したいくらいだ。 でも、だからといって彼らにそういう仕事ばかりさせるのは、やっぱりどうかと思う。仕事に「やりがい」を感じたり、「楽しさ」や「面白さ」を感じることができれば、毎日がもっとはずんだものになるし、人生がもっと充実するのではないか。
私たちがつまらない、と思うような仕事も、彼らは黙々とこなす。黙々とこなすことと、「やりがい」を感じることは全く別だ。黙々とこなしているから、これでいい、というのではなく、彼らが「やりがい」を感じることのできる仕事かどうかをいつも問い直す作業が私たちには必要な気がする。
教員をやっていたとき、実習先で紙すきをやるということで生徒がビニールをはがした牛乳パックを小さくちぎったことがあった。ほぼ半日の仕事だったが。一生懸命ちぎった紙切れを、そこのスタッフがあろう事か最後にゴミ箱に捨ててしまったことがあった。生徒は障がいの重い人で、そういうことをやってもわからないだろうと思ったのかどうか、そのスタッフの姿勢がよく見えた。紙すきなんて本気でやる気もなかったのだろう。
障害の重い人だったとはいえ、彼らの仕事をその程度にしか考えてないのだとしたら、ずいぶんと失礼な話だ。